EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
アントニオ・バルルッツィ
© Bonio / Victuallers / CC BY-SA 3.0

建築家 / Architect

アントニオ・バルルッツィ

Antonio Barluzzi

アントニオ・バルルッツィは、20世紀前半の聖地に数多くの巡礼教会を残し、「聖地の建築家」と呼ばれたイタリアの建築家である。1884年、ローマの旧家に生まれた。母方の祖父はサン・ピエトロ大聖堂の維持を担った建築家で、幼少から教会の素描を好んだという。サピエンツァ大学で工学を修めたのち、技師の兄ジュリオとともに各地の工事に携わり、1912年にエルサレムのイタリア人病院建設へ加わって、聖地と生涯にわたる縁を結んだ。第一次大戦後、フランシスコ会聖地管区の委嘱を受け、ゲツセマネの万国民の教会とタボル山の変容教会を皮切りに、至福の教会、エイン・カレムの訪問教会、そしてドミヌス・フレヴィトまで、生涯で二十余りの聖堂・施設を手がけた。

その仕事は、確立した様式に従うよりも、各聖所で記念される福音書の出来事を空間として表すことを一貫した方針とし、聖地にバシリカを築くことを自らの使命と任じた。多くはエルサレムの淡い石で築かれ、明るい採光と青を効かせたモザイクをともなう。修道者ではなく在俗の信徒として管区に仕え、勲章を誇らず質素に暮らしたと伝えられる。1927年から1937年にはエルサレムのファシスト党支部の書記も務めた。1958年、晩年の大作と期したナザレの受胎告知教会の設計案が退けられると健康を損ね、1960年、ローマで没した。

生没
1884 — 1960
国籍
イタリア
運動
登録作品
3

代表作

Works
タボル山の変容教会
1924 · 北部地区
タボル山の変容教会

イスラエル・タボル山の頂に建つフランチェスコ会のバシリカ聖堂。「聖地の建築家…

データ: Wikidata (Q2566960) / 肖像: © Bonio / Victuallers / CC BY-SA 3.0 — Wikimedia Commons
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