エッフェル塔(tour Eiffel)は、パリ七区のシャン・ド・マルスに立つ高さ約330メ…
建築家 / Architect
ギュスターヴ・エッフェル(Gustave Eiffel、1832–1923)は、フランスの土木技師・建設業者である。エッフェル塔にその名を残すが、塔は長い経歴の到達点のひとつにすぎない。
1832年、ディジョンに生まれる。1855年にエコール・サントラル(中央工芸学校)を卒業し、鉄道網の整備が進む時代の橋梁建設で頭角を現した。ポルトのドゥロ川に架かるマリア・ピア橋では、両岸から桁を張り出しながら継いでいく架設法で深い谷に長大なアーチを渡し、1880年代のガラビ橋(ガラビ高架橋)では径間162メートル、谷底からの高さ120メートルに達する橋を架けた。長く世界一高い橋であった。
仕事は橋にとどまらない。ニースの天文台では回転式のドームを設計し、ニューヨークの自由の女神像では、彫刻家バルトルディの依頼を受けて銅板の外皮を支える鉄の骨組みを組み上げた。重さで支えるのではなく骨格で支えるというこの発想は、のちのエッフェル塔にも通じている。
彼の方法は一貫していた。鉄という素材の力学を計算で突き詰め、工場で精密に加工した部材を現場で組み上げる——形は構造計算から導かれ、装飾ではなく合理から生まれる。1884年に建設中のタルド高架橋を倒壊させる事故を経てからは安全管理にも深く心を配り、エッフェル塔の工事では一人の死者も出さなかった。
代表作のエッフェル塔(1887–1889)は、技師モーリス・ケクランとエミール・ヌーギエが構想した案をエッフェルが買い取り、自らの名と資金をかけて実現したものである。塔は当初から二十年で解体される約束だったが、エッフェル自身が気象観測や空気力学、無線の実験場として活用し、その有用性が塔を救った。
晩年には影もさした。1887年に引き受けたパナマ運河の閘門工事は、運河会社の破綻による一大疑獄に巻き込まれ、財務には無関係だったにもかかわらず1893年に有罪判決を受ける(のちに取り消された)。事業から退いたのちは、塔を実験場として空気力学と気象学の先駆的な研究に打ち込み、1923年に世を去った。鉄の合理性を信じ抜いた技師として、近代の建築と土木の双方にその名を刻んでいる。