フランボワイヤン
ルーアン大聖堂
フランス北西部ルーアンに立つノルマンディー首座大司教の大聖堂。12世紀半ばから1…
建築家 / Architect
ジャン=アントワーヌ・アラヴォワーヌ(Jean-Antoine Alavoine、1778–1834年)は、フランスの建築家である。パリで彫刻家の子として生まれ、1793年から美術学校でジャン=トマ・ティボーに学んだ。兵役でイタリア遠征に加わったのち、ジャン=ニコラ=ルイ・デュランのもとで修業を続け、1811年に政府建築家となった。
ナポレオンの命でバスティーユ広場に計画された巨大な象の噴水の設計に携わり、実物大の石膏模型までつくられたが、実現はしなかった。同じ広場の七月革命記念柱も設計したが、完成(1840年)は没後で、工事はジョゼフ=ルイ・デュックに引き継がれた。
構造材としての鉄に早くから関心を寄せ、1817年のセー大聖堂の修復で鋳鉄を用いた。1822年に落雷で尖塔を失ったルーアン大聖堂では、ソールズベリー大聖堂の尖塔に着想を得た、ゴシック風の鋳鉄製尖塔を提案する。中世の石造聖堂に工業材料を持ち込む案は強い批判を受け、工事は中断を重ねたが、1876年に完成した高さ151メートルの尖塔は、アラヴォワーヌの名を最もよく伝える作品となった。1834年にパリで没した。