EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
PORTRAIT

建築家 / Architect

ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ

Michelozzo

ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(Michelozzo di Bartolomeo、1396–1472)は、フィレンツェの初期ルネサンスを担った建築家・彫刻家である。メディチ家の信任を背景に、ルネサンス都市邸宅の原型を築いた人物として知られる。

1396年、フィレンツェに仕立屋の子として生まれる。はじめ造幣所の彫り師として出発し、彫刻家ロレンツォ・ギベルティのもとで洗礼堂の扉の鋳造を手伝った。1420年代半ばからは彫刻家ドナテッロと工房を組み、対立教皇ヨハネス23世の墓碑やプラート大聖堂の外部説教壇など、彫刻と建築が一体となった作品を手がける。ミケロッツォはドナテッロの彫刻を受け止める建築の枠組みを担い、二人の協働はその名声を高めた。

やがてミケロッツォはコジモ・デ・メディチが最も信頼する建築家となり、四十年近くにわたって仕えた。1433年にコジモが追放されるとヴェネツィアへ同行し、帰国後はサン・マルコ修道院の再建(1436年〜)に取り組む。そこに設けた明快な列柱の図書館は、ルネサンス最初期の公開図書館として後世の手本となった。

代表作は、メディチ家のために設計したメディチ・リッカルディ宮殿(1444年〜)である。三層に積み分けた粗石積みのファサードと、円柱の並ぶ列柱中庭をもつこの建物は、その後一世紀にわたってフィレンツェの邸宅建築の規範となった。ミケロッツォの様式は、師と仰いだブルネレスキの古典的な明快さ——白い壁とピエトラ・セレナの対比——を受け継ぎつつ、なお中世の名残をとどめる過渡的なものだった。ブルネレスキの死後はフィレンツェ大聖堂の主任棟梁を継ぎ、ドームの頂塔(ランターン)の工事を見届けている。1472年、フィレンツェに没した。

生没
1396 — 1472
国籍
イタリア
運動
ルネサンス
登録作品
2

代表作

Works
データ: Wikidata (Q309736)
ENTRY ID — ARC-0231