EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
メディチ・リッカルディ宮殿
© Sailko / CC BY-SA 3.0
FIG. 01 — Q911047
様式 · ルネサンス建築 時代 · ルネサンス 類型 · 宮殿・邸宅 ★ ユネスコ世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の一部(1982年登録)

メディチ・リッカルディ宮殿 Palazzo Medici Riccardi

Palazzo Medici Riccardi

フィレンツェに建つ、メディチ家の最初の本邸。建築家ミケロッツォが設計し1444年に着工した、ルネサンス都市邸宅の原型である。粗石積みの簡素な外観と列柱中庭をもち、のちにリッカルディ家が増築した。

FIG. 02 — Location43.7753° N 11.2560° E
イタリア フィレンツェ フィレンツェ
§1 — 概要

概要

メディチ・リッカルディ宮殿(Palazzo Medici Riccardi)は、フィレンツェのヴィア・ラルガ(現ヴィア・カヴール)に建つ初期ルネサンスの邸宅である。建築家ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(Michelozzo di Bartolomeo)がメディチ家のために設計し、1444年に着工された。粗石積みの重厚な外観と整然とした中庭をもつこの建物は、その後のフィレンツェの貴族邸宅の手本となり、ルネサンス都市邸宅の原型として知られる。

歴史

建設を発注したのは、フィレンツェの実権を握ったコジモ・デ・メディチ(老コジモ)である。当初ブルネレスキが豪壮な案を示したが、コジモはそれを華美にすぎるとして退け、より控えめなミケロッツォの案を選んだと伝えられる。富を誇示せず市民の反感を招かないという節度は、メディチ家の政治的な処世そのものでもあった。1444年に着工され、完成を待たず1459年にはコジモが住み始めている。

宮殿はロレンツォ・イル・マニフィコをはじめ歴代メディチ家の本邸として使われ、1478年のパッツィ家の陰謀の舞台にもなった。1540年にコジモ1世がより堅固なパラッツォ・ヴェッキオへ移ると本邸の役目を終え、1659年にリッカルディ侯爵家へ売却される。リッカルディ家はファサードを北へ延長し、内部をバロック風に改装した。新設された鏡の回廊には、バロックの巨匠ルカ・ジョルダーノが天井画《メディチ家の神格化》を描いている(1682〜85年)。

建築的特徴

外観を特徴づけるのは、三層に積み分けられた石積みである。地階は粗く割った石を荒々しく積み、中層はやや滑らかに、最上層は平滑に仕上げて、上へいくほど軽やかに見せる。各層は水平の繰形で区切られ、上層には半円アーチの二連窓が規則正しく並び、全体を力強い軒蛇腹が締めくくる。要塞のような重厚さと、古典に学んだ秩序とが同居する構成である。中央には円柱の並ぶ列柱中庭(コルティーレ)が穿たれ、閉じた外壁とは対照的に、明るく開かれた空間をなす。一階の礼拝堂には、ベノッツォ・ゴッツォリが描いた壁画《東方三博士の行列》(1459年)が残る。

意義・現在

メディチ・リッカルディ宮殿は、中世の城館とも、のちのバロックの宮殿とも異なる、ルネサンスの均整と節度を初めて都市邸宅にもたらした建築である。その粗石積みのファサードと列柱中庭の構成は、パラッツォ・ストロッツィをはじめ後続の邸宅に受け継がれ、フィレンツェの街並みの基調をつくった。現在はフィレンツェ・メトロポリタン市の庁舎として使われ、ゴッツォリの礼拝堂やジョルダーノの回廊は美術館として公開されている。

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LAST EDIT — 2026.06.21
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