新古典主義建築
マドレーヌ寺院
パリ8区、ロワイヤル通りの北端に立つカトリック教会。ナポレオンが軍の栄光を称え…
建築家 / Architect
フランスの建築家。1763年にパリで生まれ、1785年から1788年にかけて王立建築アカデミーでジュリアン=ダヴィッド・ル・ロワに学んだ。クロード=ニコラ・ルドゥーにも師事し、1806年に没したルドゥーから遺言執行人に指名されている。革命期には公共作業場の監察官、ついで公共建築の総監察官となり、ルーヴルやテュイルリーなどパリの主要な建物の工事を所管した。1805年には、皇后ジョゼフィーヌのためにマルメゾン城の大温室を手がけている。
名を残したのは、パリのマドレーヌ寺院である。1806年末、ナポレオンは未完の教会を「大陸軍の栄光の神殿」に改める方針を定め、競技設計を開いた。ヴィニョンは、四周を列柱が取り巻く古代の周柱式神殿の形を提案し、1807年、アカデミーが推した別案を退けて皇帝自身に選ばれた。旧工事を取り壊して始まった建設は、帝政の崩壊と王政復古の資金難で停滞し、ヴィニョンは完成を見ないまま1828年に没した。工事は協力者のジャン=ジャック=マリー・ユヴェが引き継いでいる。
古代神殿の外形をほぼそのまま都市の要の位置に再現した点に、ヴィニョンの仕事の特色がある。マドレーヌ寺院のそばを通るヴィニョン通りは、1881年に彼の名にちなんで改称された。