ノヴォデヴィチ墓地
モスクワ、ノヴォデヴィチ女子修道院の南壁の外に広がる墓地。1898年にロディオノ…
建築家 / Architect
ロシアの建築家、文化財修復家。1867年、タンボフ県の鍛冶屋の家に生まれ、幼くして両親を失い、リペツクの商人マシュコフ夫妻の養子となって姓を改めた。モスクワ絵画彫刻建築学校で学び、1886年、19歳で建築家として工事を監理できる資格を得た。異例の早さであった。
修業時代にはコンスタンチン・ブイコフスキーのもとで大学附属病院群の建設に、アウグスト・ヴェーバーのもとで工科博物館の増築に携わった。1895年からモスクワ市参事会の建築家を務め、慈善団体の依頼による簡素な住宅や救貧施設を数多く手がけた。装飾は控えめで、アブラムツェヴォ窯のマヨリカ陶板を好んで用いた。作風の基調はロシア様式と折衷主義だが、1903〜04年のソコル館(クズネツキー・モスト通り)ではウィーン分離派風の意匠を採り、モスクワのアール・ヌーヴォー建築のなかでも異色の作となった。1904年には、セルゲイ・ロディオノフとともにノヴォデヴィチ墓地の外周壁と塔を設計している。
1898年にモスクワ考古学協会の会員となり、古い聖堂や修道院の調査と修復に力を注いだ。クレムリンの生神女就寝大聖堂やノヴォデヴィチ修道院のスモレンスク聖堂の修復を指導し、1913年刊行のモスクワ建築案内の編集にもあたった。革命後も市の建築部門に残り、内戦期には市建築家として都市の維持にあたった。1930年代にはモスクワ建築大学などで教え、1937年に労働英雄の称号を受けた。1945年に没し、自ら設計に関わったノヴォデヴィチ墓地に葬られた。
モスクワ、ノヴォデヴィチ女子修道院の南壁の外に広がる墓地。1898年にロディオノ…