総統地下壕 Führerbunker
ベルリンの旧帝国宰相官邸の地下に築かれた防空壕。1944年にホッホティーフ社が建設し、第二次世界大戦末期のアドルフ・ヒトラーの最後の司令部となった。戦後にほぼ破壊され、現在は地表に説明板が残るのみである。
§1 — 概要概要
総統地下壕(Führerbunker)は、ベルリン中心部の旧帝国宰相官邸の庭園地下に築かれた防空壕である。第二次世界大戦末期、アドルフ・ヒトラーが用いた最後の総統大本営となり、ナチス政権の最終局面の舞台となった。現在、建物そのものは失われ、跡地に小さな説明板が立つのみである。
歴史
地下壕は二期に分けて築かれた。先行する上層の「フォアブンカー(前衛壕)」は1936年に完成し、その後の空襲の激化を受けて、より深く堅固な下層の総統地下壕が鉄筋コンクリート造で1944年に建設された。施工は建設会社ホッホティーフが担った。ヒトラーは1945年1月16日にここへ移り住み、地下壕は政権の中枢となった。同年4月30日、ヒトラーはこの地で自らの命を絶ち、数日後にベルリンは陥落して第二次世界大戦のヨーロッパでの戦いは終わった。
建築的特徴
下層の総統地下壕は旧官邸の庭園の地下約8.5メートルに位置し、屋根の厚さは約3メートル、周囲を約4メートルの鉄筋コンクリートで固めた約30の小室から成る。上層のフォアブンカーとは直角に折れる階段で結ばれ、隔壁と鋼鉄の扉で互いに遮断できた。宰相官邸一帯の建築を統べたのはヒトラーの建築家アルベルト・シュペーアだが、地下壕そのものは意匠を求めず、爆撃に耐える防護を最優先した純粋に工学的な構築物であった。
意義・現在
戦後、旧・新の官邸はソ連軍によって取り壊され、地下壕の大半も破壊または封鎖された。跡地は長く荒れ地のまま放置されたが、これは負の遺産が巡礼の地と化すのを避けるための意図的な扱いであった。2006年、ようやく小さな説明板が設置され、構造の概略が図示されている。一部の通路は地中に残るが、立ち入りはできない。歴史を直視する記憶のあり方そのものが、いまも問われ続けている場所である。