第二帝政期建築
Second Empire style第二帝政期建築は、ナポレオン3世治下のフランス(1852〜1870年)に展開した壮麗な折衷様式である。ジョルジュ・オスマンによるパリ大改造と歩調を合わせ、新興のブルジョワジーと帝政の威信を可視化する都市の建築言語として成立した。ルネサンスとバロックの古典的語彙を自在に組み合わせ、対をなす列柱やピラスター、彫刻的な装飾、豊かなレリーフで壁面を飾る点に特色がある。最も目立つ標識は、急勾配の下層と緩い上層からなる二段勾配のマンサード屋根で、しばしば鉄や亜鉛の装飾的なクレストや天窓を伴った。内部では色違いの大理石や金箔、鏡、シャンデリアを駆使した過剰なまでの華やかさが好まれ、観る者を圧倒する舞台的効果がめざされた。シャルル・ガルニエのオペラ座(ガルニエ宮)はその記念碑的到達点であり、ボザール教育が育んだ軸線的で明快な平面構成と、産地の異なる多彩な石材による外観とが結びついている。この様式はパリにとどまらず、ウィーンやロンドン、さらに大西洋を越えてアメリカの公共建築や邸宅にも波及し、各国で官庁舎・ホテル・富裕層の住宅に「第二帝政様式」として採用された。特徴的な二段勾配の屋根は、17世紀の建築家フランソワ・マンサールにちなんでマンサード屋根と呼ばれ、屋根裏に居室を確保しつつ建物に堂々たる輪郭を与える実用と意匠を兼ねた装置である。様式史のうえでは、先行するルネサンス・リヴァイヴァルの古典志向を引き継ぎつつ、よりバロック的な量塊感と装飾過多へと傾いた点に独自性があり、ボザールの設計理念を共有しながら、その最も帝政色の濃い局面を形づくった。帝政の崩壊後も様式は各地で存続したが、世紀末にはアール・ヌーヴォーやより端正なボザール建築に主役を譲っていく。歴史主義の只中にあって、過去の様式を選び取り再構成するという近代的な姿勢を、最も豪奢なかたちで体現した様式といえる。