アザディ・スタジアム Azadi Stadium
テヘラン西郊のサッカー専用競技場。1974年アジア競技大会の中心施設として1971年に開場し、革命後にアザディ(自由)と改称された。西アジア最大級の規模を誇り、イラン代表と二大クラブの本拠地である。
§1 — 概要概要
アザディ・スタジアム(ペルシア語: ورزشگاه آزادی)は、イランの首都テヘランの西郊に位置する大規模なサッカー専用競技場である。1971年に「アーリヤーメフル(アーリア人の光)」の名で開場し、1979年のイラン革命後に「自由」を意味するアザディへと改称された。西アジア最大級の収容力を誇り、イラン代表チームと、テヘランの二大クラブであるエステグラルとペルセポリスの本拠地として知られる。
歴史
スタジアムは、1974年にテヘランで開かれるアジア競技大会の中心施設として計画された巨大なスポーツ複合体の一部であった。設計はイランの建築家アブドルアジズ・ファルマンファルマイアンの事務所AFFAが担い、複合体の他の施設には米国の設計事務所スキッドモア・オーイングス・アンド・メリル(SOM)の計画も用いられた。1971年10月17日、当時の国王モハンマド・レザー・パフラヴィーによって開場し、アムジャディーイェ競技場に代わってイラン代表の本拠地となり、開場当初は立見を含めて10万人規模を収容したとされる。以後アジアのサッカーを象徴する舞台のひとつとなった。
建築的特徴
すり鉢状の観客席を大地に半ば埋め込むように構え、外周を緩やかな盛り土と一体化させた構成をとる。鉄筋コンクリートによる連続した観客席が楕円形のフィールドを取り囲み、力強い量塊感を生む。当初は屋根のない開放的な大空間であったが、近年の改修で一部に覆いが加えられ、全席を座席化する工事を経て収容人数は約7万8千人となった。
意義・現在
アザディは単なる競技場を超え、革命の前後を通じてイラン社会の集合的記憶が刻まれた場所である。国際試合では観客の熱気が「蜂の群れ」とも形容されるほどの音圧を生み、ホームの強みとして語られてきた。2018年にはAFCチャンピオンズリーグの決勝の舞台ともなった。今日も代表戦やクラブの大一番が催される、国民的なランドマークである。
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Related※ イランにはパノラマの自由が認められていないため、現存する現代建築の写真の利用には留意を要する。掲載画像は通信社がCC BY 4.0で公開したもの。