ゴレスターン宮殿 Golestan Palace
テヘラン旧市街の城塞内に残るガージャール朝の王宮群。16世紀サファヴィー朝の城塞に始まり、18世紀末に王朝の居城となって19世紀に現在の姿へ改築された、ペルシアの工芸と西欧の意匠が交わる建築である。
§1 — 概要概要
ゴレスターン宮殿(کاخ گلستان、「薔薇園の宮殿」の意)は、テヘラン中心部に残るガージャール朝の王宮群である。塀に囲まれた庭園のまわりに大小の建物が並び、かつてはテヘランの城塞(アルグ)の内側にあった。現存する建物の大半は19世紀のもので、イランの工芸と、18世紀から20世紀にかけてヨーロッパから贈られた品々を収める博物館として公開されている。テヘランで唯一の世界遺産である。
歴史
起源はサファヴィー朝にさかのぼる。タフマースブ1世(在位1524〜76年)の時代にテヘランに城塞が築かれ、アッバース1世がその北側に大きな庭園を設けた。庭園はやがて高い塀で囲まれ、内側に王の居所が建てられている。サファヴィー朝末期には宮廷が一時的に置かれることもあった。18世紀後半にはザンド朝のキャリーム・ハーン(在位1750〜79年)が改修している。
転機はガージャール朝の成立である。アーガー・モハンマド・ハーンがテヘランを首都に定めると、アルグは宮廷の所在地となり、ゴレスターンは王朝の公式の居城となった。現在の姿にまとまるのは19世紀後半で、1865年、建築家ハージー・アボルハサン・メマール・ナヴァーイーの手で大規模に建て替えられた。ナーセロッディーン・シャー(在位1848〜96年)の長い治世は、この宮殿がヨーロッパの意匠を受け入れながら増改築を重ねた時期にあたる。
パフラヴィー朝(1925〜79年)は、自らの居所をニヤーヴァラーンやサアダーバードに新たに構え、ゴレスターンは公式の接見と儀式の場として使われた。1926年のレザー・シャー戴冠式と、1967年のモハンマド・レザー・シャーおよびファラー皇后の戴冠式はここで行われている。一方で1925年から1945年にかけては、レザー・シャーの命により敷地内の建物の多くが取り壊された。古いガージャール朝の宮殿群が近代都市の成長を妨げるという判断によるもので、跡地には1950年代から60年代の商業建築が建てられた。現在の姿は、こうして大きく削られた後の残余である。
2007年から2021年にかけて、最小限の介入・可逆性・材料の適合性という原則に沿った一連の修復が行われた。石材の洗浄と固定、シャムソル・エマーレの構造亀裂の補修、劣化したタイルの処置、鏡張りの安定化などが含まれる。
建築的特徴
複合体は17の建造物からなり、そのほとんどがガージャール朝の131年間に建てられた。主要なものを挙げる。
タフテ・マルマル(大理石の玉座) — 庭に開く柱廊テラス(タラール)で、18世紀半ばに築かれ、ガージャール朝下で整えられた。名は内部に据えられた大理石の玉座に由来する。
ハルヴァテ・キャリーム・ハーニー — 1759年、ザンド朝キャリーム・ハーンの居所の一部。タフテ・マルマルと似た構成の小さなテラスで、装飾はずっと控えめである。かつては中央に噴水と池があり、王のカナート(地下水路)から引いた水が庭の灌漑に回された。ナーセロッディーン・シャーが好んだ一角と伝えられる。
タラーレ・ボルリヤーン(輝きの間)/タラーレ・アーイーネ(鏡の間) — いずれも鏡張りで名高い広間。前者はナーセロッディーン・シャーの命により建てられ、後者はハージ・アブドルホセイン・メマール・バーシー(サニーオルモルク)の設計による。細かく割った鏡が天井と壁を覆い、ムカルナスと組み合わさって光を無数に返す。
シャムソル・エマーレ(太陽の館) — モアイエロル・ママーレクの設計で、1865年に着工し2年で完成した。塔状に立ち上がる構成はテヘランの街並みを見下ろすことを意図したもので、頂部にはヴィクトリア女王からナーセロッディーン・シャーに贈られた時計が据えられている。
エマーラテ・バードギール(風採りの館) — ファトフ・アリー・シャーの時代に建てられ、ナーセロッディーン・シャーの代に大きく改められた。名のとおりバードギール(風採り塔)を備える。
カーヘ・アビヤズ(白宮殿) — 1883年完成。オスマン帝国からの贈物を展示するために、ナーセロッディーン・シャー自身の構想のもとで建てられた。ネオ・バロックの意匠をとり、白い外壁から「アビヤズ(白)」と呼ばれる。
装飾の主役は、七彩のタイル(ハフト・ラング)と鏡張り、そして色ガラスを嵌めた格子窓オロシーである。タイルの図様には幾何学や草花に加えて人物・風景・狩猟の場面が現れ、ヨーロッパの版画から取られたモティーフも混じる。伝統的な平面構成の上に西欧の柱やペディメントが載る折衷は、ガージャール朝の建築を特徴づける態度そのものである。
意義・現在
ユネスコはこの宮殿を、それまでのペルシアの工芸と建築を西欧の影響とうまく統合したガージャール朝の傑作と評価し、2013年6月、プノンペンでの委員会において世界遺産に登録した。イラン側の推薦は2005年に提出されていた。
宮殿にはナーセロッディーン・シャーの命で集められた初期写真の一大コレクションが残る。19世紀ヨーロッパの写真術がイランへ入ってきた過程を伝える資料であり、宮廷の内部で王の妻や従者までが撮影に加わっていた様子が写し取られている。写本図書館と文書庫もあわせて置かれている。
2026年3月初め、米国とイスラエルによるテヘランへの空爆が近接するアルグ広場を襲い、その衝撃波と飛散物によって宮殿の窓・木製扉・オロシー・鏡張りの一部が損傷した。収蔵品はあらかじめ安全な場所へ移されており、被害を免れている。イラン文化遺産・観光・工芸省はユネスコに報告し、ユネスコは中東地域の文化財保護について懸念を表明した。都市の大気汚染と季節ごとの湿度変動による材料の劣化も、継続的な課題として指摘されている。
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Related※ イランにはパノラマの自由の規定がないが、本建築は19世紀の作であり建築意匠の著作権は消滅している。写真は CC BY-SA 4.0。