福島第一原子力発電所 Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant
福島県沿岸に立つ、日本の商用原子力黎明期を象徴する発電所。1971年に1号機が運転を開始し計六基を擁したが、2011年の東日本大震災で炉心溶融事故を起こした。現在は数十年がかりの廃炉作業が進む。
§1 — 概要概要
福島第一原子力発電所は、福島県の太平洋岸、大熊町と双葉町にまたがって立地する原子力発電所である。日本の商用原子力発電の黎明期を担った施設で、最盛期には六基の沸騰水型軽水炉(BWR)を擁した。建築・土木の観点では戦後日本の大規模インフラ建設を代表する存在だが、2011年の事故により、現在はその名が原子力安全をめぐる世界的な議論と分かちがたく結びついている。
歴史
1号機は1967年に着工し、米国のゼネラル・エレクトリック社が原子炉を、エバスコ社が設計・建設を担って、1971年に営業運転を開始した。以後1979年までに2〜6号機が順次増設され、東京電力の基幹電源の一つとなった。2011年3月11日の東日本大震災では、地震と巨大な津波により非常用電源を失い、1〜3号機が冷却不能から炉心溶融(メルトダウン)に至った。水素爆発で原子炉建屋が損傷し、放射性物質が広範囲に放出され、国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻なレベル7と評価された。震災と津波による犠牲、そして事故に伴う大規模な避難は、地域社会に深い爪痕を残した。
建築的特徴
施設は、原子炉建屋・タービン建屋・関連設備からなる典型的な軽水炉プラントとして、海に面した台地を削った敷地に配された。冷却に大量の海水を用いるため海沿いに立地したことが、結果として津波への脆弱性につながった。事故後の構内には、溶融した燃料を冷やす過程で生じる汚染水への対策として多数のタンクが林立し、損傷した建屋には飛散防止のカバーが架けられるなど、本来の発電施設とは異なる、廃炉のための工学的景観へと姿を変えている。
意義・現在
福島第一は、巨大技術と災害との関係を問い直す象徴的な場所となった。事故処理は数十年にわたる事業であり、使用済み燃料の取り出しに続いて、炉心の溶融燃料(燃料デブリ)の回収という前例のない作業が段階的に進められている。多核種除去設備(ALPS)で処理した水の海洋放出は2023年に始まり、国際原子力機関(IAEA)の監視の下で継続している。全体の廃炉完了は2050年代以降に及ぶと見込まれ、周辺では避難指示の解除と帰還、環境の再生が今なお続いている。