ハンガリーのエステルゴムとスロバキアのシュトゥーロヴォを結ぶドナウ川の国境橋。技師フェケテハージの設計で1895年に開通し、二度の戦災で破壊された後、2001年に完全再建された。
§1 — 概要概要
マーリア・ヴァレーリア橋(Mária Valéria híd)は、ドナウ川を渡ってハンガリーのエステルゴムとスロバキアのシュトゥーロヴォを結ぶ橋である。全長およそ500メートル。橋名は、オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の末娘マリー・ヴァレーリー大公女に由来する。二度にわたる戦災と長い分断を経て再建された、中欧の20世紀史を映す国境の橋として知られる。
歴史
橋はハンガリーの橋梁技師ヤーノシュ・フェケテハージの設計により、1895年9月28日に開通した。当時は一国内の橋であったが、1920年のトリアノン条約で対岸のパールカーニ(現シュトゥーロヴォ)がチェコスロバキアに帰属したため、橋は国境で分断されることになった。
この橋は二度破壊されている。1919年には軍事衝突のさなかに西側の橋脚が爆破され、1920年代に修復・再建された。第二次世界大戦末期の1944年12月26日には、撤退するドイツ軍がエステルゴム周辺の橋とともにこれを爆破した。戦後、両岸を隔てる体制対立のために橋は長く再建されず、川を渡るには迂回を強いられる状態が半世紀以上続いた。再建が実現したのはようやく新世紀に入ってからで、欧州連合の支援を受けて工事が行われ、2001年10月11日に全面再開した。2007年に両国がシェンゲン圏に加わったことで、橋上の国境管理も撤廃された。
建築的特徴
構造は、鉄を組んだトラス状の桁を連続させた橋で、装飾を排し、構造体そのものの規則的なリズムを意匠とする。これは鉄とガラスの世紀における土木技術の典型的な美学であり、フェケテハージが手がけた他のドナウ架橋とも共通する。2001年の再建にあたっては、創建時の形姿を尊重しつつ現代の基準で架け直されており、19世紀の意匠を保ちながら新しい構造体に置き換えられている。
意義・現在
マーリア・ヴァレーリア橋は、建築様式よりもその来歴によって記憶される橋である。一国の橋として生まれ、国境で断たれ、戦争で二度失われ、和解の象徴として再建されるという経過は、中欧の近現代史を凝縮している。現在は両岸の地域を一体の生活圏として結び直す役割を担い、エステルゴム大聖堂を望む景観とともに、訪れる人の多い渡河点となっている。