諸国民の戦いの記念碑 Monument to the Battle of the Nations
ドイツ・ライプツィヒ郊外に立つ高さ91mの巨大記念碑。1813年のライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)でナポレオン軍が敗れた地に、戦勝100周年の1913年に完成した。記念碑建築家ブルーノ・シュミッツの設計による、20世紀初頭を代表するモニュメントである。
§1 — 概要概要
諸国民の戦いの記念碑(Völkerschlachtdenkmal)は、ドイツ東部の都市ライプツィヒの郊外に立つ、高さ91メートルの巨大な記念建造物である。1813年、この地で戦われたライプツィヒの戦い——ナポレオン軍が反フランス同盟軍に大敗を喫した「諸国民の戦い」——を記念して築かれた。戦勝100周年にあたる1913年に完成し、ヨーロッパでも最大級の記念碑のひとつに数えられる。
歴史
ライプツィヒの戦いは、ロシア・プロイセン・オーストリア・スウェーデンの連合軍がナポレオンを破り、ドイツにおけるフランス支配の後退を決定づけた会戦であった。その記憶を巨大な石塊に刻もうとする構想は19世紀を通じて温められ、実業家クレメンス・ティーメ率いる愛国者同盟(Deutscher Patriotenbund)が、募金と宝くじによって約600万金マルクとされる巨費を集めた。1898年、開戦から85年の節目に礎石が据えられ、15年の歳月をかけて1913年に竣工する。設計は記念碑建築を得意とした建築家ブルーノ・シュミッツが担い、彫刻はクリスティアン・ベーレンスが原型を起こし、その死後はフランツ・メッツナーが巨大な群像を完成させた。
建築的特徴
構造には当時として新しい鉄筋コンクリートが用いられ、外装を花崗岩で覆うことで永続性と量塊感が与えられている。基壇の上に塊が積み上がり、頂部へ向かって簡素化していく構成は、装飾を抑えた厳粛な記念性を志向する。内部は、戦没者を悼む地下のクリプタと、その上に重なる円形の「名誉の間(ルーメスハレ)」からなり、後者には高さ約9.5メートルの守護者像が四体配される。これらの彫刻は、同時代のユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)に通じる様式化された造形で知られる。正面にはミカエル大天使の浮彫が刻まれ、頂上の展望台へは約500段の階段が通じている。
意義・現在
この記念碑は、ドイツ・ナショナリズムの高揚期に生まれた巨大記念物の代表例であり、その記念のあり方や象徴性は時代ごとに異なる意味を担ってきた。第二次世界大戦後の東ドイツ時代には、解放戦争を民衆の闘いとして読み替える解釈も重ねられている。現在は併設の博物館「フォルム1813」とともに公開され、ライプツィヒの主要なランドマークとして多くの来訪者を迎えている。