ノルウェー西岸の港町。1904年の大火で焼失した市街を、石と煉瓦のユーゲント・シュティールで3年余りのうちに建て直した。ヨーロッパでも稀な、都市の規模で様式が統一されたアール・ヌーヴォーの町並みである。
§1 — 概要概要
オーレスンは、ノルウェー西岸ムーレ・オ・ロムスダール県の島々にまたがる港町である。ここで建築の対象となるのは単体の建物ではなく、市街そのものである。1904年の大火からの復興によって都心部のほぼ全域が同時期・同傾向の様式で建て替えられ、アール・ヌーヴォーの都市景観としては欧州でも屈指の広がりと密度をもつに至った。ノルウェーではこの様式を、ドイツ語圏の呼称にならってユーゲント・シュティールと呼ぶ。
歴史
1904年1月23日の未明、南西からの強風のなか、缶詰工場から出た火が木造の市街を焼き尽くした。焼失家屋は800棟を超え、1万人以上が家を失った。死者は1名にとどまったものの、町の中心は消滅した。復興は国家的な事業と位置づけられ、フィヨルド観光でこの地を訪れていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の呼びかけをはじめ、国内外から支援が集まった。ノルウェー各地から50名を超える建築家が参加し、1904年から1907年までの3年余りで約350棟が建てられている。市街の再計画は技師フレデリク・ネッセルが担当し、地形の起伏を均さずに残したまま、カミロ・ジッテの説く不規則な街路構成を採った。再建にあたっては木造が禁じられ、石と煉瓦が義務づけられた。火災の教訓が、そのまま都市の材質と表情を決めたことになる。
建築的特徴
設計にあたった建築家の多くは、ドイツやその周辺で当時最新の様式を学んだ世代であった。塔屋、段状に立ち上がる切妻、出窓、荒く仕上げた自然石の壁面、植物や動物をかたどった浮彫が、街路の連なりのなかで反復される。一方で、蛇や竜、中世ノルウェーの木彫を思わせる文様が随所に加えられ、大陸のアール・ヌーヴォーとは異なる国民浪漫主義(ドラーゲスティール)の色合いを帯びる。代表例が、ハグバルト・シュッテ=ベルグ(1860–1944)の設計で1905年から1907年にかけて建てられた白鳥薬局(スヴァーネアポテーケ)である。粗く割った石を積んだ壁に塔屋とアーチ状の開口を組み合わせ、内部には当時の薬局什器が残る。全体としては、規制された高さと材料のもとで各建築家が装飾の自由を競う、という構図になっている。
意義・現在
オーレスンの価値は、個々の建物の質よりも、様式が都市の規模で一斉に実現した点にある。アール・ヌーヴォーは通常、都市のなかの数街区、あるいは限られた施主の建物に散在するにすぎない。この町では、火災という条件が、逆に短期間・同一様式・全域という異例の一致を生んだ。白鳥薬局は2003年からユーゲント・シュティール・センターとして公開され、ノルウェーにおけるアール・ヌーヴォー研究の拠点となっている。隣接するノルウェー銀行支店(1906年)の建物は美術館KUBEに転用された。町並みは保存の対象として管理され、フィヨルド観光の起点であることと相まって、様式そのものが町の資源となっている。