EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
シェーネベルク区庁舎
© A.Savin / FAL
FIG. 01 — Q695194
時代 · 近代モダニズム 類型 · 公共・官庁 ★ ベルリン州指定文化財(Baudenkmal)

シェーネベルク区庁舎 Rathaus Schöneberg

Rathaus Schöneberg

ベルリン、シェーネベルクの区庁舎。1911年から1914年にユルゲンゼン&バッハマンの設計で建てられた。冷戦期には西ベルリンの政庁となり、1963年のケネディ「私はベルリン市民だ」演説の舞台として知られる。

FIG. 02 — Location52.4850° N 13.3442° E
ドイツ テンペルホーフ=シェーネベルク区 ベルリン
§1 — 概要

概要

シェーネベルク区庁舎(Rathaus Schöneberg)は、ドイツの首都ベルリンにある区庁舎である。1911年から1914年にかけて、当時独立した都市であったシェーネベルクの市庁舎として、建築家ユルゲンゼンとバッハマンの設計で建てられた。冷戦の時代に西ベルリンの政庁となり、1963年、ケネディ米大統領がここで「私はベルリン市民だ」と演説した舞台として、世界に知られる。

歴史

19世紀末から人口を増したシェーネベルクは、手狭になった旧庁舎に代わる新たな庁舎を必要とした。設計競技を経て、1911年に着工し、1914年に最初の市議会が開かれた。第二次世界大戦で建物は大きな被害を受け、戦後、簡素化された形で再建される。塔は1950年、クルト・デュッバースの設計により、もとの尖塔屋根を失った姿に建て直された。

戦後、ベルリンの伝統的な市庁舎「赤の市庁舎」が東側に取り残されると、1948年以降、西ベルリンの市政府がこの庁舎に移った。以後、市議会と市長の座所となり、エルンスト・ロイターやヴィリー・ブラントらがここで執務した。1963年6月26日、ケネディ米大統領が庁舎前の広場に集まった群衆に向けて演説し、広場はのちにジョン・F・ケネディ広場と改められた。東西統一後の1993年、ベルリン市政府は「赤の市庁舎」へ戻り、以後は区の行政が用いている。

建築的特徴

庁舎は、砂岩を用いた四階建ての重厚な建物で、正面の中央軸には、建物を見おろす高い塔がそびえる。広場に面した正面は、イオニア式ピラスター(付け柱)で律せられ、商業や手工業を表す浮彫りで飾られる。20世紀初頭、急成長した都市がその威信を記念碑的な建物に託そうとした時代の気風を、よく示している。塔の高さは70メートルで、その内部には、1950年にアメリカの「自由の鐘」――フィラデルフィアの独立の鐘に倣ったもの――が納められ、冷戦下の自由の象徴として鳴らされた。

意義・現在

シェーネベルク区庁舎は、建築としてよりも、20世紀の歴史の舞台として記憶される建物である。ベルリンが東西に分かたれた時代、ここは西ベルリンの自由と自治を象徴する場であり、その前の広場は幾度も政治的な集会の舞台となった。とりわけケネディの演説は、分断された都市への西側の連帯を示す出来事として歴史に刻まれている。現在は区の庁舎として使われ、塔の自由の鐘とケネディの記念銘板が、その来歴を今に伝えている。

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LAST EDIT — 2026.06.22
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