スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノ Stadio Olimpico Grande Torino
トリノにある多目的競技場。1933年にファシズム期の市営競技場として開場し、長くユヴェントスとトリノの本拠地であった。2006年トリノ冬季五輪に合わせて改修・改称され、現在はトリノFCの本拠地として使われている。
§1 — 概要概要
スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノは、イタリア北西部の都市トリノにある多目的競技場である。市南部のサンタ・リタ地区に位置し、現在はセリエAのトリノFCの本拠地となっている。1933年の開場以来、たびたび改称を重ねてきた歴史をもつ。
歴史
競技場は、1933年に開催されたリットリアーリ大会と世界学生競技大会の会場として計画され、当初は「スタディオ・ムニチパーレ・ベニート・ムッソリーニ」と名づけられた。工期短縮のため工事は複数の事業者に分割され、観客席部分は建築家ラッファエロ・ファニョーニと技師ビアンキーニ、オルテンシらが設計した。1932年9月に着工し、翌1933年5月に落成した。戦後は「スタディオ・コムナーレ」と改称されてユヴェントスとトリノが本拠とし、1990年代にはより大規模なスタディオ・デッレ・アルピへ移ったが、2006年のトリノ冬季五輪に際して改修され「スタディオ・オリンピコ」となった。
建築的特徴
当初の設計は周長約640メートルの楕円形のリングで、白い花崗岩の基壇の上に45度に傾く観客席が立ち上がった。基壇の上には赤い化粧漆喰の幅木が巡り、観客席の頂部は白い手すりで縁取られた。観客席を覆う庇は3メートル以上も張り出す片持ち構造で、機能性と記念性を兼ねた合理主義的な造形が特徴である。併設された「マラソン塔」とともに、ファシズム期イタリアのスポーツ建築を代表する。現在の収容は約2万8千人である。
意義・現在
名称の「グランデ・トリノ」は、1949年のスーペルガの悲劇で命を落とした名門トリノの黄金期のチームに由来する。2000年代後半にはユヴェントスも新本拠地の完成まで一時的に復帰し、改めて二大クラブの舞台ともなった。2006年五輪の開閉会式の舞台にもなったこの競技場は、改修を経て現在もトリノの市民スポーツの拠点であり続けている。
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