イタリア・ナポリにかつて存在したサッカー場。技師アメデオ・ダルボーラの設計で1930年に開場し、1934年W杯にも使われたが、第二次大戦中の空襲で破壊され1942年に失われた。SSCナポリ唯一の自前スタジアムであった。
§1 — 概要概要
スタディオ・パルテノペオ(Stadio Partenopeo)は、イタリア・ナポリのリオーネ・ルッツァッティ地区にかつて存在した多目的競技場である。スタディオ・ジョルジオ・アスカレッリ、また当初はスタディオ・ヴェスーヴィオの名でも知られた。技師アメデオ・ダルボーラが設計し、SSCナポリの本拠地として使われた。同クラブが歴史上唯一所有した、自前のスタジアムであった。
歴史
スタジアムは、1926年にナポリのサッカークラブを創設した初代会長ジョルジオ・アスカレッリの全額出資で、1929年から1930年にかけて建設された。当初は木造スタンドで約2万人を収容し、1930年2月にスタディオ・ヴェスーヴィオとして開場した。だがアスカレッリは開場の数週間後に腹膜炎で急逝し、その名を冠してスタディオ・アスカレッリと改称される。1934年のワールドカップに向けて鉄筋コンクリートで全面的に建て替えられ、収容力は4万人へと倍増した。この改修に際し、ユダヤ系であったアスカレッリの名は当時の体制下で消され、スタディオ・パルテノペオへと改められている。同大会では2試合が行われた。
建築的特徴
建て替え後のスタジアムは、木造スタンドを鉄筋コンクリートの観客席に置き換え、正面には角張った記念碑的なファサードが新たに据えられた。1930年前後のナポリで進んだ都市の刷新を体現する施設であり、近隣の市民プールとともに、当時の建築的な近代化の表れと見なされた。
意義・現在
スタジアムは竣工から日が浅いまま、第二次世界大戦下のナポリ空襲で大きな損害を受け、1942年に破壊された。戦後の復興のなかで残骸も撤去され、現在その痕跡はとどめていない。唯一、近隣の住宅地が「リオーネ・アスカレッリ」と呼ばれることに、創設者と最初のスタジアムの記憶が残る。短命に終わった建物ではあるが、ナポリのサッカー史の出発点を物語る存在である。