リトアニアの首都ヴィルニュスを見下ろす丘に建つ記念碑。1916年にヴィヴルスキが鉄筋コンクリートで造形したが、1950年にソ連当局が爆破。1989年、独立運動のさなかにシルガリスの設計で再建され、国民的再生の象徴となった。
§1 — 概要概要
三つの十字架(リトアニア語: Trys kryžiai)は、リトアニアの首都ヴィルニュスの旧市街を見下ろす「三十字架の丘」(別名・禿げ山、Plikasis kalnas)に建つ記念碑である。三本の白い鉄筋コンクリート製の十字架が丘の上にそびえ、市のスカイラインを特徴づける景観として、またリトアニアの信仰と民族的記憶の象徴として広く知られる。
歴史
この地には、17世紀前半(1613年から1636年頃)にヴィルニュスのフランシスコ会修道士が三本の木製十字架を建てたと伝えられる。殉教したフランシスコ会士をめぐる伝説に由来するという。木の十字架は1869年に倒壊し、帝政ロシア当局は再建を許さなかった。第一次世界大戦下のドイツ占領期にあたる1916年、ポーランド・リトアニア系の建築家・彫刻家アントニ・ヴィヴルスキ(リトアニア語名アンタナス・ヴィヴルスキス)の設計により、鉄筋コンクリート製の新たな記念碑が築かれた。これは1950年5月30日、ソ連当局によって爆破・撤去された。リトアニアの独立運動が高まるなか、1989年には旧来の基礎の上で再建が進められ、ヘンリカス・ケストゥティス・シルガリスの設計、彫刻家スタニスロヴァス・クズマの施工により、同年6月14日に除幕された。
建築的特徴
記念碑は、基部で結ばれた三本の十字架からなる簡潔な構成で、台座や具象的な装飾を排し、垂直性と一体感を強調する。1989年の再建版は鉄筋コンクリート造で、各十字架の高さは約12メートルに達し、1916年の旧版よりおよそ1.8メートル高い。露出した丘の上という立地に耐えるよう、耐候性と象徴的な簡潔さが優先された。爆破された旧記念碑の破片は、再建された十字架の数メートル下に今も残されている。
意義・現在
三つの十字架は、リトアニアの歴史そのものを映す存在である。帝政期の抑圧、ソ連による破壊、独立運動のなかでの再建という経緯を経て、スターリン主義の犠牲者への追悼であると同時に、国民的再生の標となった。かつては50リタス紙幣にも描かれた。丘の基部の展望台からはヴィルニュス旧市街の眺望が開け、市内有数の景観地として多くの人を集めている。