イラン南部ファールス州にある、アケメネス朝ペルシアの儀礼的首都の遺跡。前518年…
アケメネス朝建築は、前6世紀から前4世紀にかけて、古代オリエントの大部分を統一したアケメネス朝ペルシア帝国が生んだ建築様式である。帝国が支配した各地——メソポタミア、エジプト、イオニア、メディア——の造形技術と職人を動員し、それらを折衷して壮大な宮殿建築を築いた点に最大の特徴がある。
様式の中心は、キュロス2世が都としたパサルガダエ、およびダレイオス1世以降の儀礼的首都ペルセポリスである。いずれも現在のイラン南部ファールス地方にあたる。王宮はスサやエクバタナにも置かれた。帝国の版図が西アジアから中央アジア、エジプトに及んだため、建築様式もまた広域の要素を統合するものとなった。
最も際立つのは、細く高い石柱を林立させた大列柱室(アパダーナ)である。木造の梁で天井を架けることを前提としたため、石造建築でありながら柱は細身で、柱間を大きくとることができた。柱頭には背中合わせの双牡牛など獣形の彫刻(ラマッス)が据えられ、梁を受けた。基壇や階段の壁面は、朝貢する諸民族の使節や王の行列を描いた浅浮彫で覆われ、帝国の秩序と多様性を視覚化した。門にはメソポタミア由来の有翼人面牡牛像が守護獣として置かれた。
様式を最もよく伝えるのはペルセポリスの遺跡群で、アパダーナ、「万国の門」、「百柱の間」などが知られる。パサルガダエにはキュロス2世の墓が残る。これらはいずれも巨大な人工基壇の上に築かれ、自然の地形と一体化した記念碑的な景観をつくった。
アケメネス朝建築は、独自の様式を一から創出したのではなく、先行するメソポタミア(アッシリア・バビロニア)の基壇と守護獣、エジプトの石造技術と柱、ギリシア・イオニアの繊細な石工を折衷して成立した。前330年の帝国滅亡後、その造形はセレウコス朝を経て、パルティア・ササン朝のイラン建築へと部分的に受け継がれていった。