朝鮮半島の建築
Korean architecture朝鮮半島の建築(Korean architecture)は、朝鮮半島で三国時代から朝鮮王朝末期にかけて育まれた、木造を基本とする建築の伝統である。石の基壇の上に柱を立て、梁を架け、軒を深く反らせた瓦屋根を載せる架構は中国建築と多くを共有するが、地形への順応と、華美を抑えた簡潔さに独自の性格がある。
4世紀に仏教が伝わると、高句麗・百済・新羅の三国で宮殿と寺院の造営が本格化した。木造の遺構は残らないものの、百済の工人が飛鳥時代の日本の寺院造営に関わったことが知られ、その様式は東アジアに広く及んだ。統一新羅期には唐の影響のもとで成熟し、8世紀の仏国寺や石窟庵では石造の技術も高度な水準に達した。
架構の要となるのは、柱の上で軒を支える斗栱(韓国語で「栱包」)の組み方である。高麗時代には柱の上だけに斗栱を置く柱心包式が用いられ、浮石寺無量寿殿(1376年)がその代表例とされる。高麗後期から朝鮮初期にかけては、柱と柱の間にも斗栱を並べる多包式が広まり、宮殿の正殿や城門に用いられた。朝鮮中期以降は、鳥の翼のような簡素な部材で軒を受ける翼工式が普及した。建物の格は、屋根の形式や斗栱の密度、柱や梁に施す丹青の彩色によって示された。
住居では、床下に煙道を通して室内を温めるオンドルと、板張りの大庁(テチョン)とを組み合わせ、寒冷な冬と蒸し暑い夏の双方に対応した。配置にあたっては風水が重視され、背後に山を負い前に水を臨む地が選ばれた。朝鮮王朝の宮殿のうち、昌徳宮は丘陵の起伏に沿って殿閣を配した例として知られ、儒教の礼制にもとづく宗廟や書院とともに、抑制のきいた造形を示す。18世紀末の水原華城では、伝統的な築城法に新しい技術が取り入れられた。
19世紀末の開国以後、西洋建築と日本統治期の建築が持ち込まれ、伝統的な木造建築の系譜はいったん途切れる。それでも、地形と調和する配置や、木と瓦による簡素な表現は、現代の韓国建築でも繰り返し参照されている。
代表建築
Buildings