スコティッシュ・バロニアル様式
Scottish baronial architectureスコティッシュ・バロニアル様式は、19世紀のスコットランドで、中世末期から近世初頭の自国の城館の造形を意識的に復活させた様式である。ゴシック・リヴァイヴァルの一支流に数えられるが、参照先が大陸の大聖堂ではなく、地元の領主が建てた防御的な住居であった点に特徴がある。同時代のイングランドで、エリザベス朝・ジェイムズ朝の邸宅を復活させた動き(ジャコビーサン様式)に対応する位置にある。
原型となったのは、16世紀後半から17世紀にかけてスコットランドに数多く建てられたタワーハウスである。火器の普及によって高く薄い石壁は防御上すでに時代遅れになっていたが、塔や小塔は身分の標識として残され、そこに窓を大きくとるなどのルネサンス的な要素が加えられた。壁の大部分は粗石積みで、隅石・窓枠・笠石だけを切石とし、彫刻装飾はごく控えめである。
形態上の指標は明快である。持ち出しで張り出す円錐屋根の小塔(バルティザン)、段状のクロウステップ破風、実用を離れた胸壁とマチコレーション、そして非対称のZ字形・L字形平面と不揃いな屋根の輪郭。円塔の上に、持ち出しによって方形の小部屋を載せる構成は、この様式に特有のものである。
19世紀にこれらを様式として名づけたのは、ロバート・ウィリアム・ビリングスの著作『スコットランドの城館と教会の遺構』(1852年)とされる。ウォルター・スコットのアボッツフォード邸がロマン主義的な先例となり、ウィリアム・バーンとデイヴィッド・ブライスが実作を通じて語彙を整理した。決定打はヴィクトリア女王とアルバート公のバルモラル城(1856年)である。王室が自らの私邸にこの様式を選んだことで、それはスコットランドの国民的な建築言語として承認された。エディンバラのコウバーン通りのように、都市の街並みごとこの様式で建てられた例もある。
以後、様式は大英帝国各地の公共建築やカントリー・ハウスへ輸出され、チャールズ・レニー・マッキントッシュの初期作にも影を落とした。エディンバラ城内のスコットランド国立戦争記念堂(1927年開館)が、この系譜の最後の大作とされる。復活形式で建てられた建物の数は、原型となった近世の城館の数をはるかに上回る。