EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
エディンバラ城
© Stephencdickson / CC BY-SA 4.0
FIG. 01 — Q212065
様式 · 軍事建築 時代 · 中世 類型 · 城郭・要塞 ★ 世界遺産「エディンバラの旧市街と新市街」(1995年登録)の構成資産

エディンバラ城 Edinburgh Castle

Caisteal Dhùn Èideann

スコットランドの首都エディンバラ、死火山の岩頸キャッスル・ロックの頂を占める城塞。12世紀以来の王城にして要衝であり、市内最古の建物である聖マーガレット礼拝堂から20世紀の戦争記念堂までを抱える。

FIG. 02 — Location55.9487° N 3.2007° W
イギリス シティ・オブ・エディンバラ エディンバラ
§1 — 概要

概要

エディンバラ城(Edinburgh Castle)は、スコットランドの首都エディンバラの旧市街西端、キャッスル・ロックと呼ばれる岩山の頂を占める城塞である。岩山は約3億5000万年前の火山活動で生じた岩頸の名残で、北・西・南の三方は切り立った崖となり、なだらかな東の尾根だけが接近路となる。中世以来、王の居城、武器庫、文書庫、造幣所、監獄、駐屯地と多くの役割を担い、スコットランドの王冠・王笏・国剣(オナーズ・オブ・スコットランド)を収める。2014年の調査では、その歴史のなかで26回の包囲を受けたとされる。

歴史

岩山には青銅器時代の末から鉄器時代にかけて人が住み、600年ごろの出来事を歌うウェールズ語の叙事詩『ア・ゴドジン』の「ディン・エイディン(エイディンの砦)」もこの地とみられている。王城としての記録は11世紀末のマルカム3世の時代にさかのぼり、その子デイヴィッド1世(在位1124〜53年)は城を王権の拠点として整えた。現存最古の建物である聖マーガレット礼拝堂は、デイヴィッド1世が母マーガレットに捧げて1130年ごろに建てたものである。

13世紀末に始まるスコットランド独立戦争では、城はイングランドとスコットランドの間で奪い合われた。1314年に城がスコットランド側に奪回されると、ロバート1世は再占領を防ぐため城を破却させたが、礼拝堂だけは残されたと伝えられる。戦後、デイヴィッド2世は1367年ごろから巨大な塔を築き、15世紀には岩の南側にヴォールトを架けて広場(のちのクラウン・スクエア)を造成し、王の居室群を整えた。16世紀初めには、ジェームズ4世の時代に大広間(グレート・ホール)が完成している。

1571年から73年にかけての「長期包囲戦(ラング・シージ)」では、砲撃によって中世の防御施設の大半が崩れ、デイヴィッドの塔も失われた。その跡には摂政モートン伯の手で半月砲台と落とし格子門が築かれ、今日の東面の輪郭ができあがる。王宮は1615〜17年、ジェームズ6世の帰郷に備えて改修された。17世紀以降、城は主として軍の要塞となり、18世紀前半には北と西の斜面に砲台群が整えられた。

19世紀になると、城は国民的な記念物として見直される。1818年には作家ウォルター・スコットが封印されていた部屋から王冠などの宝器を再発見し、1845年には倉庫となっていた聖マーガレット礼拝堂の由来が再確認された。1880年代には出版業者ウィリアム・ネルソンの出資により、建築家イポリット・ブランが大広間を修復し、落とし格子門の上にアーガイル塔を載せた。エスプラナードに面した現在のゲートハウスも1886〜88年の築である。1923年から27年にかけては、ロバート・ロリマーの設計によるスコットランド国立戦争記念堂が、かつての聖マリア教会の跡に建てられた。

建築的特徴

城域は東の入口から頂上へゲートハウス、落とし格子門、砲台群と防御線を重ね、頂上の広場を王宮、大広間、戦争記念堂、クイーン・アン棟が囲む。王宮の東面には3層分を貫く張り出し窓が町に向かって並び、内部には王冠を収めるクラウン・ルームや、1566年にジェームズ6世が生まれた小部屋が残る。大広間は長さ約29メートル、幅約12.5メートルで、創建時のハンマービーム屋根を伝えるスコットランドでも数少ない中世の広間である。屋根を受ける石の持ち送りにはルネサンスの意匠が刻まれ、16世紀初めのスコットランドに大陸の新様式が早くも届いていたことを示す。

東面を象徴する半月砲台は16世紀後半の築で、当時すでに旧式の砲台だったとも評される。ゲートハウスやアーガイル塔の胸壁や小塔は、19世紀のスコティッシュ・バロニアル様式が「中世らしさ」を補ったものであり、城の外観は各時代の実用と演出の積み重ねとして読むことができる。最古の聖マーガレット礼拝堂は、内部の幅が3メートルほどしかない小さな石造の堂で、内陣との境にはジグザグ文様を刻んだロマネスクの半円アーチが残る。

意義・現在

エディンバラ城は、火山がつくった天然の要害に、約900年にわたって宗教・王権・軍事の建築が積み重なった複合体であり、1995年に世界遺産に登録された「エディンバラの旧市街と新市街」の景観を支配する存在である。現在は歴史環境スコットランドが管理し、国立戦争博物館などを収める。陸軍の駐留はいまでは主に儀礼的なものだが、日曜などを除く毎日午後1時の号砲や、エスプラナードで毎夏催される軍楽の祭典ミリタリー・タトゥーは、現在も城の日常の一部である。

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LAST EDIT — 2026.09.10
ENTRY ID — BLD-1174