シリア西部、ホムス回廊を見下ろす丘上に立つ十字軍の城。1142年から聖ヨハネ騎士…
軍事建築とは、攻撃を防ぎ、あるいは攻撃を加えることを第一の目的として構想された建築の総称である。城壁・塔・砦・要塞・門楼・兵舎・武器庫などを含み、意匠上の規範によってではなく用途と技術によって規定される領域であるため、各時代・各地域の様式と重なりながら、独自の系譜を描いてきた。最大の特徴は、形が美的理念からではなく、想定される兵器と戦術への応答として決まる点にある。攻城槌や坑道戦が主役であれば壁は厚く基部は斜めになり、火砲が普及すれば高く聳える塔は無用となって低く分厚い稜堡へ置き換わる。軍事建築の歴史は、そのまま攻城技術の歴史を裏側から写したものである。
城壁で囲まれた都市はメソポタミアやエジプトに始まり、ギリシア・ローマは方形の陣営(カストルム)と直線的な市壁を体系化した。中世のヨーロッパと西アジアでは領主や騎士修道会の居城が発達し、十字軍の遠征を通じて東西の築城術が交流する。東アジアでは版築の城壁と木造の櫓を組み合わせる体系が育ち、日本では中世の山城を経て、石垣と塗籠の櫓による近世城郭が成立した。要素としては、幕壁と塔、胸壁と矢狭間、マチコレーション、跳ね橋と門楼、堀と斜堤が地域を越えて繰り返し現れる。防御の要諦は、敵の進路を屈折させて一箇所に滞留させ、そこへ複数方向から射撃を集中することにあり、囲いを二重三重に重ねる同心円式城郭も、出入口を折り曲げる枡形虎口も、互いに独立して生まれた同じ解答である。
代表例には、ヘロデ大王がユダヤ砂漠の台地に築いたマサダ、聖ヨハネ騎士団が中世築城術の極点を示したクラック・デ・シュヴァリエ、ムガル帝国の城塞宮殿である赤い城、そして日本の近世城郭の到達点である姫路城がある。15世紀以降、火砲の威力が高い石壁を無力化すると、低く厚い土塁と多角形の突角からなる稜堡式城郭へと重心が移り、19世紀以降の要塞はコンクリートとともに地中へ潜っていった。実戦から退いたのちも、胸壁や塔といった造形言語は権威の表象として城館・庁舎・大学の意匠に引き継がれている。