スコットランドの首都エディンバラ、死火山の岩頸キャッスル・ロックの頂を占める…
スコットランド北東部、ディー川の谷に建つ英国王室の私邸。1852年にアルバート公が所領を買い取り、アバディーンの建築家ウィリアム・スミスの設計で1856年に竣工した。スコティッシュ・バロニアル様式を国民的な建築言語へ押し上げた城館である。
§1 — 概要バルモラル城は、スコットランド北東部アバディーンシャー、ディー川南岸に建つ城館である。名は城だが実態は19世紀のカントリー・ハウスであり、防御の機能はもたない。英国王室の私有財産であり、君主の公邸とは異なり王領地(クラウン・エステート)には属さない。周囲には約2万1千ヘクタールの所領が広がり、雷鳥の狩場、森林、農地、赤鹿やハイランド牛の放牧地を含む働く領地として運営されている。
この地には中世から人の住まいがあり、1390年にウィリアム・ドラモンドが館を構えたとの記録が残る。以後ゴードン家、ファーカーソン家と所有者が移り、1830年に借地権を得たロバート・ゴードンが、アバディーンの建築家ジョン・スミスの設計で旧城に城館風の増築を施した。
ヴィクトリア女王とアルバート公がこの谷を初めて訪れたのは1848年である。侍医が乾いた気候のディーサイドを勧めたのがきっかけだった。二人は起伏する風景にアルバート公の故郷テューリンゲンを重ね、1852年に3万2千ポンドで所領を買い取る。しかし旧城は、育ち盛りの家族と随員を収めるには小さすぎた。
新しい城館の設計は1852年初頭、ジョン・スミスの子でアバディーン市建築家のウィリアム・スミスに委ねられた。図面にはアルバート公が自ら手を入れ、小塔や窓の細部にまで指示を出したと伝えられる。工事は眺望を優先して旧城の北西約90メートルの地点で1853年に始まり、女王が同年9月28日に礎石を据えた。1855年の秋には王族の居室が使えるようになり、翌1856年に竣工。旧城はまもなく取り壊された。
外壁は所領内インヴァージェルダーで切り出した花崗岩を切石積みとする。明るい灰白色の壁面には、同時代のアバディーンが「花崗岩の街」と呼ばれた建築文化が背景にある。
平面は中庭を囲む二つの棟からなり、南西棟に主要な居室を、北東棟に厨房などの奉仕部門を収める。南東の隅には高さ約24メートル、7層の時計塔が立ち、その頂部に円錐屋根の小塔(バルティザン)が持ち出される。段状のクロウステップ破風、屋根窓、胸壁付きの車寄せが加わり、屋根の輪郭は意図して不揃いに保たれている。塔は中世末期のタワーハウスに、円錐屋根の小塔は16世紀フランスの城館に由来する形式で、いずれも防御の役目を失った記号として選ばれている。
建築としての評価は必ずしも高くない。1850年代にウィリアム・バーンらが展開していた奔放なバロニアルと比べると、バルモラルの構成は整いすぎており、アルバート公の関与ゆえに生硬だとも評されてきた。それでも、女王がスコットランドの様式で私邸を建てたという事実の重みは別である。タータンの内装、ブレーマーのハイランド・ゲームズへの臨席とあわせ、王室はハイランドの文化を自らの表象として引き受けた。歴史家マイケル・リンチはこれを、君主制が初めて真に「英国的」な次元を得た出来事と評している。
城はスコットランド歴史環境局によりA類指定建築物に登録されている。王族が滞在しない春から初夏にかけては、庭園と舞踏室が公開される。2022年9月8日、エリザベス2世がこの城で没した。スコットランドで君主が没したのは1542年のジェイムズ5世以来であり、棺は3日間、舞踏室に安置された。
スコットランドの首都エディンバラ、死火山の岩頸キャッスル・ロックの頂を占める…