アゼルバイジャン国立アカデミー・オペラ・バレエ劇場 Azerbaijan State Academic Opera and Ballet Theater
バクーに建つアゼルバイジャン最古級のオペラ劇場。石油成金マイロフの依頼でニコライ・バーエフが設計し、わずか10か月で1911年に完成した。バロック・ロココ・ムーア風を交えた折衷的な意匠で知られる。
§1 — 概要概要
アゼルバイジャン国立アカデミー・オペラ・バレエ劇場(Azerbaijan State Academic Opera and Ballet Theater)は、カスピ海に臨む油田都市バクーの中心部に建つオペラ劇場である。旧称はマイロフ劇場(Mailov Theatre)。20世紀初頭の石油ブームに沸くバクーで、急速に蓄えられた富を背景に建てられ、西アジア・中東でも最古級のオペラ劇場の一つに数えられる。豪奢に装飾された折衷的なファサードをもち、今日もバクーで最も美しい建築の一つとされる。
歴史
建設の経緯には、半ば都市伝説と化した逸話がある。1910年、ロシアの著名なソプラノ歌手アントニーナ・ネジダーノヴァがバクーを訪れた際、これほど富裕な都市に相応しいオペラ劇場がないことを嘆いたという。これに発奮した石油成金ダニエル・マイロフは、一年で劇場を建てると約束した。同じく富豪のゼイナラブディン・タギーエフは完成を疑い、期限内に建てば建設費を全額負担するという賭けに応じた。設計と監理は建築家・土木技師のニコライ・バーエフが担い、200人の職工による三交代の突貫工事で、10か月足らずのうちに劇場を完成させた。1911年2月28日に開場し、ネジダーノヴァ自身が最初の歌い手として舞台に立った。タギーエフは約束どおり費用を支払ったと伝えられる。1916年に常設の歌劇団を擁して定常的に運営され、1920年に国有化、のちに作家ミルザ・ファタリ・アフンドフの名を冠した。1985年に火災で被災したが、修復されて現在に至る。
建築的特徴
劇場の意匠は単一の様式に収まらない折衷主義的なもので、バロックやロココ、ムーア風の要素を取り混ぜた、装飾豊かなファサードをもつ。20世紀初頭のアゼルバイジャン建築にしばしば見られる、東西の様式を融合させた折衷の典型である。バーエフは、トビリシの劇場をしのぐ華やかさを求めた施主の要望に応え、ヨーロッパのオペラ劇場の構えを参照しつつ、地域固有の装飾感覚を加えた。短工期ゆえの困難はあったものの、市長と技師団による検査で安全が確認され、開場にこぎつけている。
意義・現在
この劇場は、アゼルバイジャンのオペラ文化の発展と分かちがたく結びついている。アゼルバイジャンのオペラは1908年、ウゼイル・ハジベヨフの《レイリとマジュヌーン》(ムスリム世界初のオペラとされる)で幕を開けたが、本劇場はその後のオペラ・バレエ文化の中心的な舞台の一つとなった。建築としては、油田の富が短期間に生んだ折衷的な記念碑であり、多民族都市バクーの文化的野心を体現する。設計者バーエフは竣工後にバクー市の主任建築家となり、都市の景観形成に関わった。劇場は現在も国立のオペラ・バレエの拠点として現役で使われている。