イングランド・ケント州にある堀をめぐらせた城。13世紀のゲートハウスに始まり、テューダー期にボーリン家がアン・ブーリンの育った邸館へ改めた。20世紀初頭にアスターが大修復し、現在は庭園とともに一般公開されている。
§1 — 概要概要
ヒーヴァー城(Hever Castle)は、イングランド南東部ケント州の村ヒーヴァーにある、堀をめぐらせた城である。13世紀の砦に始まり、テューダー期にはボーリン家の邸館として、のちにヘンリー8世の王妃となるアン・ブーリンが少女時代を過ごした場所として知られる。20世紀初頭にアメリカの富豪ウィリアム・ウォルドーフ・アスターによって大規模に修復され、現在は庭園とともに一般に公開されている。
歴史
ヒーヴァー城の歴史は、大きく三つの時期に分けられる。最も古い部分は1270年ごろに築かれたゲートハウス(門楼)と城壁に囲まれた中庭で、堀と跳ね橋を備えた小さな砦であった。1271年には城壁化(クレネレーション)の許可が下りている。この門楼は城で唯一現存する創建期の遺構であり、その落とし格子はイングランドで今も稼働する最古のものとされる。
第二の時期は1462年、ジェフリー・ボーリンが荒れた城を買い取り、城壁の内側にテューダー様式の邸館を挿入して一族の住まいに改めたときである。孫のトマス・ボーリンが1505年に相続し、その娘アン・ブーリンは1513年に大陸へ送られるまでこの城で育った。アンが王妃となったのち、1539年に城は王の手に渡り、翌1540年には離縁したアン・オブ・クレーフェスに与えられた。その後ウォルデグレイヴ家らを経て、城はしだいに荒廃していく。
第三の時期が、1903年にアスターが城を購入して始めた修復である。アスターは建築家フランク・ラフバラ・ピアソンを起用し、内部を入念に修復するとともに、北側にテューダー風の宿泊棟「アスター・ウィング」(テューダー・ヴィレッジ)を増築した。あわせてイタリア式庭園や迷路、人造湖が整えられ、城は廃墟の淵から救われた。
建築的特徴
ヒーヴァー城は、砂岩造りの小規模な堀城である。三層からなる方形のゲートハウスを正面に置き、四隅に小塔を備える。門には落とし格子と「殺人孔(マーダーホール)」を残し、中世の防御の構えを今に伝える。城壁の内側には、ボーリン家が築いた木組みのテューダー邸館が収まり、石の外殻と木の内部という新旧が重なり合う。アスターによる修復はこの対比を尊重しつつ、内装を精緻なテューダー=エリザベス朝風に仕立て直したもので、古材や当時の道具をできるかぎり用いる凝りようであった。
意義・現在
ヒーヴァー城は、中世の砦からテューダーの邸館へ、さらに20世紀の入念な修復へと、英国の住まいの変遷を一身に重ねた建築である。何よりアン・ブーリンの育った家として、英国史の転回点——ヘンリー8世の離婚とイングランド国教会の成立——に連なる場所でもある。1983年にアスター家からブロードランド・プロパティーズへ渡り、現在はグレードIの指定建造物として、庭園とともに多くの来訪者を迎えている。
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