国際コンベンションセンター(エルサレム) International Convention Center
エルサレム西部のギヴアト・ラムに立つ、イスラエル最大級のコンベンション・センター。通称ビニェネイ・ハウマ(「国民の建物」)。建築家ゼエヴ・レヒターの設計で1950年に着工し、財政難で工期を重ねて1963年に完成した。
§1 — 概要概要
国際コンベンションセンター(ヘブライ語通称: בנייני האומה、ビニェネイ・ハウマ、「国民の建物」の意)は、エルサレム西部の入口にあたるギヴアト・ラム地区に立つ、コンサートホールを兼ねた大規模会議施設である。中東でも最大級のコンベンション・センターとされ、エルサレム交響楽団の本拠地でもある。建国まもないイスラエルが、国際的な文化・会議の中心地を首都に築こうとした事業の所産であり、地元産の石を纏った重厚な量塊が、丘のうえで都市の玄関を画している。
歴史
構想は、見本市の企画者アレクサンデル・エゼル(イェヴザロフ)が建国直後に提案したものである。1949年の設計競技で建築家ゼエヴ・レヒターの案が選ばれ、翌1950年に岩盤の発破から建設が始まった。当初は1951年の第23回シオニスト会議の開催に間に合わせる計画だったが、独立直後の緊縮と資金難で工事はたびたび中断し、「フルバト・ハウマ(国民の廃墟)」と揶揄されたほどであった。未完のまま1951年の会議を迎え、1956年には世界シオニスト機構の会合で実質的に稼働を始めた。レヒターの没後も工事は続き、複合施設として全体が完成したのは1963年である。同年、第1回エルサレム国際ブックフェアの会場となった。
建築的特徴
設計はレヒターと、息子ヤアコヴ・レヒター、義理の息子モシェ・ザルキを擁する事務所による。崖がせり上がるような単一の量塊として構成され、抑制のきいたモダニズムの語法でまとめられている。外壁は周囲の丘と同じ地元産の石で覆われ、二千年の離散を経た国家の再興という主題を、堅牢さと重量感によって表そうとした。その意匠は、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールやニューヨークの国際連合本部ビルなど、同時代の国際的な公共建築の気風につらなる。当初は正面に大きな壁面レリーフが計画されたが、実現には至らなかった。
意義・現在
ビニェネイ・ハウマは、1979年と1999年のユーロビジョン・ソング・コンテストをはじめ、数多くの国際行事の舞台となってきた。完成から半世紀以上を経て、市の玄関口の再開発計画のなかで建物の改変が議論されたが、保全を求める声を受けて、原設計のファサードを大きく損なう計画は見送られた。建国期イスラエルの公共建築を代表する記念碑として、なお現役の施設であり続けている。