エルサレムのギヴァト・ラムの丘に立つ、イスラエル随一の美術・考古博物館。1965年開館。建築家マンスフェルトらが、丘に散らばる集落のように低い棟を連ねて設計した。死海文書を納める「書物の聖堂」でも知られる。
§1 — 概要概要
イスラエル博物館(Israel Museum)は、エルサレムのギヴァト・ラム地区の丘に立つ、イスラエルを代表する美術・考古博物館である。1965年に開館し、考古資料からユダヤ美術、近現代の絵画・彫刻まで、五十万点におよぶ収蔵品を擁する。なかでも、死海文書を納める「書物の聖堂」で広く知られる。
歴史
博物館は、のちにエルサレム市長となるテディ・コレックの主導により構想された。建国からまだ十数年、若い国家のなかで、文化の拠点を築こうという試みであった。設計は、1959年から、ロシア生まれの建築家アルフレッド・マンスフェルトと、インテリアデザイナーのドラ・ガドが担い、1965年に開館にこぎつけた。
敷地には、いくつもの独立した施設が点在する。死海文書を納める「書物の聖堂」は、キースラーとバルトスの設計になる、白い円蓋と黒い玄武岩の壁が対をなす独立した建物である。イサム・ノグチが手がけた「ビリー・ローズ彫刻庭園」も、丘の斜面を活かした名高い屋外彫刻の場として知られる。2000年代には大規模な改修が行われたが、マンスフェルトの当初の設計は、そのまま受け継がれている。
建築的特徴
マンスフェルトは、丘の上に「ファサードのない建築」を構想した。低く平らな屋根をもつ白い箱形の棟を、斜面に沿っていくつも散らばらせ、互いを通路でつなぐ。その姿を、彼自身、丘にひろがるアラブの村にたとえている。地元の石を用いた外装は、ユダヤの丘陵の風景になじむ。モジュール状のこの構成は、のちの増築にも柔軟に応じられるよう、はじめから考えぬかれたものであった。
意義・現在
イスラエル博物館は、近代建築の手法を、土地の風土と歴史のなかに溶けこませた、20世紀の博物館建築の好例である。死海文書をはじめとする収蔵品とともに、その建築もまた、世界有数の美術・考古博物館にふさわしい器となっている。今日も、丘の上に静かにひろがり、訪れる人を迎えている。