EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
エスタジオ・ド・マラカナン
© Arne Müseler / CC BY-SA 3.0 de
FIG. 01 — Q155174

エスタジオ・ド・マラカナン Maracanã Stadium

Estádio Jornalista Mário Filho

リオデジャネイロの巨大サッカー競技場。1950年のワールドカップに合わせ7人の建築家の共同設計で着工され、決勝で約20万人が自国の敗戦を目撃した。鉄筋コンクリートを数の論理で押し切ったブラジル・モダニズムの器である。

FIG. 02 — Location22.9122° S 43.2302° W
ブラジル リオデジャネイロ州 リオデジャネイロ
§1 — 概要

概要

エスタジオ・ド・マラカナン(Estádio do Maracanã)は、リオデジャネイロにあるサッカー競技場である。正式名称はエスタジオ・ジョルナリスタ・マリオ・フィーリョ。リオデジャネイロ州が所有し、フラメンゴとフルミネンセが共同で運営する。ブラジル最大、南米でも三番目の規模をもつが、その名を刻んだのは建築史ではなく世界史であった。1950年7月16日、ここで約20万人が自国の敗戦を目撃したという一事による。

「マラカナン」の名は、近くを流れるマラカナン川に由来する。川の名は、この地域に棲んでいたインコを指す先住民トゥピの語から来ている。

歴史

1950年ワールドカップの開催が決まると、新しい競技場の建設が課題となった。建設地に選ばれたのは、1920年代まで競馬が行われていたダービー・クラブの一帯で、市街に近く交通の便がよいことが決め手となった。この選定と巨費に対しては下院議員カルロス・ラセルダが激しく反対したが、ジャーナリストのマリオ・フィーリョの支持を得て、市長アンジェロ・メンデス・デ・モライスが押し切った。

1947年に市が設計競技を開く。当選したのは、ミゲル・フェルドマン、ワウジール・ラモス、ラファエル・ガルヴァン、オスカー・ヴァルデタロ、オルランド・アゼヴェード、ペドロ・パウロ・ベルナルデス・バストス、アントニオ・ディアス・カルネイロの7人による共同案であった。工事はエンジニアのウンベルト・メネスカルが請け負い、1948年8月2日に礎石が据えられる。

開幕まで二年を切った工程はたちまち遅れ、FIFAは1934年大会を運営したイタリア協会のオットリーノ・バラッシを督励に送り込んだ。現場には1,500人が入り、最終盤にはさらに2,000人が加わっている。1950年6月16日のこけら落としを迎えたときも、便所も記者席もない工事現場のままであった。それでもFIFAは使用を認め、6月24日に初戦が行われる。そして7月16日、引き分けでも優勝という状況でブラジルはウルグアイに1対2で敗れた。この敗戦は「マラカナソ(マラカナンの悲劇)」としてブラジル史の一事件となる。競技場が完全に竣工したのは、着工から17年後の1965年である。

建築的特徴

鉄筋コンクリートによるスタンドを楕円形に巡らせ、二層に積み上げた構成をとる。当選案が想定した収容は155,250人で、内訳は座席93,000、立見31,000ほか。当時としては桁外れの数字であった。

見どころは装飾ではなく、規模そのものと、それを可能にした構造にある。上層スタンドの外周を巡るカンチレバーの庇は、視界を遮る柱を客席から追放するための装置であり、コンクリートの可塑性を土木の規模で使い切っている。同時期のブラジル・モダニズムがコンクリートの曲面を造形の実験として扱ったとすれば、こちらは同じ素材を数の論理で押し切った建築である。

当初のスタンドは個別の座席をもたない立見の大階段が主体で、この「桁の緩さ」こそが記録的な観客数を生んだ。20万人という数字は、収容の設計値ではなく、座席のない構造がたまたま許容した結果でもある。

意義・現在

マラカナンは、20世紀半ばのブラジルが国家の威信を建築の規模に託した記念碑であり、同時にその企図が最も劇的に裏切られた場所でもある。以後もこの競技場はブラジル・サッカーの中心であり続けた。1969年にはペレが通算1000点目をここで挙げている。

その歴史は縮小の歴史でもある。1992年、上層席の手すりが崩落して3人が死亡し50人が負傷した。立見の大階段は段階的に座席へ置き換えられ、2013年のコンフェデレーションズカップ、2014年ワールドカップ決勝、2016年のリオ五輪開閉会式に向けた改修を経て、現在の収容は73,139人である。約20万人という数字は、全席着席が原則となった現在では二度と更新されない記録として残る。国立歴史芸術遺産研究所(IPHAN)の文化財に指定されている。

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LAST EDIT — 2026.07.18
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