カルルシュテイン城 Karlštejn Castle
プラハ南西の丘に建つ、神聖ローマ皇帝カール4世が1348年に創建したゴシック様式の城。帝国の宝物と聖遺物、王冠類を守るために築かれ、最上部の大塔に聖十字架礼拝堂を収める。
§1 — 概要概要
チェコの首都プラハの南西およそ30キロメートル、ベロウンカ川を見下ろす丘に建つ大規模なゴシック様式の城である。チェコ語ではフラト・カルルシュテイン(hrad Karlštejn)。ボヘミア王にして神聖ローマ皇帝であったカール4世(カレル1世)が、帝国の宝物・王冠類と、自ら各地で蒐集した聖遺物を安全に保管するために創建した。防御の城であると同時に、皇帝の信仰と権威を可視化する聖なる宝物庫であり、最上部の大塔に置かれた聖十字架礼拝堂をその頂点とする。チェコでも有数の人気を誇る城として知られる。
歴史
カルルシュテインは1348年、カール4世の命によって創建された。工事はのちに城代となるヴィート・ズ・ビートヴァが取り仕切ったとされるが、設計者としての確かな記録は残らず、当時の作法どおり棟梁が実務を担ったと考えられている。聖ヴィート大聖堂の建築家アラスのマティアスに帰す伝承もあるが、確証はない。皇帝は1355年に初めて滞在して造営を自ら監督し、城はおよそ20年を要して、1365年の聖十字架礼拝堂の聖別をもって完成した。礼拝堂は1420年まで神聖ローマ帝国の宝器を、フス戦争後の1436年からはボヘミアの王冠宝器を収め、1619年まで守り続けた。1487年には大塔が火災で傷み、後期ゴシックやルネサンス様式の改修を経たのち、城は荒廃する。1887年から1899年にかけて、建築家ヨゼフ・モッケルがフリードリヒ・シュミットとともに純粋主義的なネオ・ゴシックの大改修を行い、現在の姿を与えた。中世の原形をどこまで忠実に再現したかをめぐっては、当時から今日まで議論が続いている。
建築的特徴
城は丘の斜面に沿って階層的に築かれ、低い段から高い段へと、機能と格式が上昇していく構成をとる。最下段に皇帝の宮殿、その上にマリア塔、最上段に大塔が置かれた。高さ約60メートルの大塔は厚さ4〜7.5メートルの壁で別個に要塞化され、その中枢に聖十字架礼拝堂を収める。礼拝堂は半貴石をちりばめた壁面と、画家テオドリクスによる聖人像の板絵で飾られ、皇帝が最も大切な宝器と聖遺物を納めた空間であった。井戸塔は最初に築かれた部分で、近くの渓流から水を引く地下水路を備える。各部の配置は防御と象徴の双方に応え、宝物を物理的にも象徴的にも城の最高所で守るよう仕組まれている。
意義・現在
カルルシュテインは、中欧でも最も良く保存された記念碑的なゴシック城塞の一つとされ、カール4世の治世とその信仰世界を今日に伝える。現在の外観の多くは19世紀の修復に負うが、聖十字架礼拝堂をはじめ中世の核は良好に残る。城は1918年以来チェコの国有財産であり、国家文化記念物に指定されている。プラハからの日帰りで訪れやすい立地もあって、チェコを代表する観光地の一つとなっている。