ナルヴァ凱旋門 Narva Triumphal Arch
サンクトペテルブルクに立つ、ナポレオン戦争の勝利を記念する凱旋門。1814年の木造仮設をクァレンギが、1827〜1834年の恒久的な石造をスターソフが手がけ、頂部を6頭立ての戦車の彫刻が飾る帝政様式の記念門である。
§1 — 概要概要
ナルヴァ凱旋門(Нарвские триумфальные ворота)は、ロシアのサンクトペテルブルク南西部、スタチェク広場に立つ凱旋門である。1812年のナポレオン戦争(祖国戦争)の勝利と、遠征から帰還する軍隊を記念して建てられた。彫刻を含めない門の高さは約23メートル、頂部の戦車像までを含めると約30メートルに達する。帝政様式(エンパイア様式)を代表するロシアの記念建造物の一つである。
歴史
最初のナルヴァ凱旋門は、1814年、ヨーロッパから凱旋する軍隊を迎えるため、ナルヴァへ通じる街道沿いに建てられた。設計はロシアで活躍したイタリア出身の建築家ジャコモ・クァレンギで、パリのカルーゼル凱旋門に応答する意図をもっていた。ただし木材と漆喰による仮設の構造で、恒久的なものとして造られたわけではなかった。十年を経て老朽化したため、皇帝アレクサンドル1世の命により同じ地で石造の門が新たに計画され、建築家ヴァシーリー・スターソフが設計を担った。礎石は1827年8月に据えられ、1834年に完成した(落成式は同年9月)。
建築的特徴
スターソフの門は、古代ローマの凱旋門にならった単一アーチの構成をとる。煉瓦造の躯体を銅板で覆い、左右にそれぞれコリント式の付柱を並べる。頂部には、勝利の女神が御す6頭立ての戦車(クアドリガ)が据えられ、ピョートル・クロットらが打ち出し銅で制作した。女神像はステパン・ピメノフ、戦車の構成はワシーリー・デムート=マリノフスキーの手による。アーチのスパンドレルや柱間には、勝利を擬人化した有翼像や古代ロシアの戦士像が配され、内部は地階と三層から成って螺旋階段で結ばれている。
意義・現在
ナルヴァ凱旋門は、ナポレオン戦争の勝利を都市の門という形式で記念した、帝政期ロシアの記念建築の代表例である。門の近くでは1905年に「血の日曜日事件」が起こり、広場はのちにスタチェク(ストライキ)広場と改称された。レニングラード包囲戦で大きな損傷を受けたが戦後に修復され、2003年の市の創建300周年に際して大規模な修復が行われた。内部には1987年以来、1812年戦争と門の建設史を伝える博物館が置かれている。世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の構成資産の一つでもある。