サンクトペテルブルクに建つ新古典主義の建物。ロシア初の女子教育機関スモーリヌイ貴族女学校のため、ジャコモ・クァレンギの設計で1806年から1808年に建てられた。1917年にはボリシェヴィキの本部が置かれた。
§1 — 概要概要
サンクトペテルブルク、ネヴァ川にほど近いスモーリヌイ大聖堂の一郭に建つ、新古典主義の堂々たる建物である。もとはロシア最初の女子教育機関スモーリヌイ貴族女学校の校舎として建てられ、のちにロシア近代史の転換点の舞台ともなった。
歴史
スモーリヌイ貴族女学校は、1764年、エカチェリーナ2世の勅令により、教育家イヴァン・ベツコイの提言を受けて創設された。貴族の女子に体系的な教育を授けるロシア初の試みであり、当初は隣接するスモーリヌイ修道院の建物を仮校舎としていた。専用の校舎は、1806年から1808年にかけて、イタリア出身の建築家ジャコモ・クァレンギの設計で修道院の南側に建てられた。1808年に女学校はこの新校舎へ移り、以後百年あまりにわたって貴族女子教育の中心であり続けた。
建築的特徴
建物は、簡潔な矩形の構成にパッラーディオ式の明晰さを与えた、クァレンギ円熟期の新古典主義建築である。淡い黄色の壁面の中央に、八本のイオニア式円柱からなる堂々たるポルティコを据え、その上にペディメントを載せて、節度ある荘厳さを表している。内部では、舞踏会や式典に用いられた白の大広間が中心を占める。装飾を抑え、比例と量塊によって格式を語るその手法は、帝都の新古典主義を代表するものである。
意義・現在
1917年、ボリシェヴィキは10月の蜂起にあたってこの建物を本部とし、大広間でソビエト政権の樹立が宣言された。翌1918年に首都がモスクワへ移されたのちも、建物はレニングラード市・州の政治の中枢として用いられ、1934年にはここで指導者キーロフが暗殺された。現在はサンクトペテルブルク市政府が置かれ、一部には歴史記念博物館が設けられている。女子教育の発祥から革命の舞台まで、ロシアの歩みが幾重にも刻まれた建物である。