ヴァンドーム円柱 Colonne Vendôme
パリ1区のヴァンドーム広場の中央に建つ記念柱。ナポレオン1世がアウステルリッツの戦勝を記念し、1806年から1810年にかけて、古代ローマのトラヤヌスの記念柱に倣って建てさせた。
§1 — 概要概要
ヴァンドーム円柱は、パリ1区のヴァンドーム広場の中央に建つ記念柱である。ナポレオン1世が1805年のアウステルリッツの戦勝を記念し、古代ローマのトラヤヌスの記念柱に倣って建てさせた。高さは44.3メートル、平均直径はおよそ3.6メートルで、帝政様式(アンピール)を代表する記念碑として広場の景観を支配している。
歴史
円柱はナポレオンの命により1806年から1810年にかけて建設された。設計を担ったのはジャック・ゴンドワンとジャン=バティスト・ルペールである。表面を覆う青銅は、戦役で鹵獲した大砲を鋳つぶして得たと伝えられる。1871年のパリ・コミューンの際、過去の戦争賛美の象徴として倒され、その立案には画家ギュスターヴ・クールベが関与したとされる。第三共和政下で再建され、頂部に立つナポレオン像は第二帝政期に彫刻家オーギュスト・デュモンが制作したものである。
建築的特徴
円柱は98個の石の太鼓を積み上げて構成され、内部には頂部の展望台へ通じる180段のらせん階段が穿たれている。外面は青銅の浮彫で覆われ、戦いの場面が連続した螺旋を描いて全長およそ280メートルにわたり巻き上がる。浮彫の下絵はベルジュレやマゾワらに委ねられ、その制作はナポレオンの美術行政を率いたヴィヴァン・ドノンが多数の彫刻家に振り分けて統括した。この帯はトラヤヌスの記念柱の構成をそのまま近代の戦勝記念に翻案したものであり、古代の図像言語を借りて帝国の栄光を語る、歴史主義的な発想を端的に示している。頂部の像も政体の交代とともに幾度か架け替えられ、記念柱そのものが政治の浮沈を映す台座となった。
意義・現在
ヴァンドーム円柱は、ナポレオン帝政が古代ローマの権威を引き継ごうとした政治的意図を、建築の形で結晶させた記念碑である。倒壊と再建を経た歴史そのものが、十九世紀フランスの政治の振幅を映している。1992年に歴史的記念物に指定され、いまもパリ屈指の広場の中心に立っている。