パレ・ロワイヤル Palais-Royal
パリ一区、ルーヴルの北に建つ宮殿。宰相リシュリューのためにジャック・ルメルシエが1633年から築いた邸宅を起こりとし、18世紀には回廊状の商業ギャラリーで賑わった。現在は文化省などが入る。
§1 — 概要概要
パレ・ロワイヤル(Palais-Royal)は、パリ一区、ルーヴル宮の北に向かい合って建つ宮殿である。宰相リシュリューの邸宅「パレ・カルディナル」として17世紀前半に築かれ、のちに王家のものとなって現在の名を得た。中庭を囲む回廊と、その奥に広がる庭園を備え、歴代の改造を経て、今日では文化省や国務院(コンセイユ・デタ)などが置かれている。
歴史
宰相リシュリューは、ルーヴルにほど近い土地に自らの邸宅を構えることを望み、王室建築家ジャック・ルメルシエに設計を委ねた。建設は1633年から1639年にかけて行われ、当初は「パレ・カルディナル(枢機卿の宮殿)」と呼ばれた。リシュリューの死後に建物は王家へ遺贈され、「パレ・ロワイヤル(王宮)」と改称される。やがてルイ14世の弟オルレアン公の家系に渡り、たび重なる改築によって当初のルメルシエの意匠はほとんど失われた。
18世紀後半、オルレアン公は庭園の三方を囲む回廊状のギャラリーを建築家ヴィクトル・ルイに設計させ(1781–1784年)、その下に店舗やカフェを並べた。ここは商業と社交、そして政治談議の場として活気づき、革命前夜には民衆を扇動する演説の舞台ともなった。19世紀にはピエール・フォンテーヌが荒廃した建物の修復を担っている。
建築的特徴
現在の姿は、起源となった17世紀の宮殿よりも、後世に加えられた庭園と回廊の構成によって性格づけられている。庭園を抱くようにめぐる長大なアーケードは、規則正しい列柱と連続するアーチで統一され、屋根付きの歩廊に沿って店舗が並ぶ。この回廊状の商業空間は、のちにパリ各所へ広がるパサージュ建築の先駆として建築史に位置づけられる。
中庭には、1980年代に美術家ダニエル・ビュランが設けた白黒縞の円柱群が並び、古典的な建築と現代美術が同居する独特の場をつくっている。
意義・現在
パレ・ロワイヤルは、宰相の私邸から王宮へ、さらに市民が集う商業空間へと、用途と意味を塗り替えながら都市の中心に生き続けてきた建築である。ことに18世紀のギャラリーは、買い物と社交を一体化した近代的な都市空間の原型を示した。現在は文化省・国務院・憲法評議会が入る官庁であると同時に、静かな庭園と回廊は市民に開かれ、パリの都心にあって時の層を感じさせる場所となっている。