オテル・デ・ザンヴァリッド Les Invalides
パリ7区、セーヌ左岸に広がる17世紀の壮大な建築複合体。ルイ14世が傷病兵の療養施設として創建し、リベラル・ブリュアンが主要部を、ジュール・アルドゥアン=マンサールが黄金のドーム教会を設計した。フランス古典・バロック建築の代表作で、ナポレオンの墓所としても知られる。
§1 — 概要概要
オテル・デ・ザンヴァリッド(hôtel des Invalides)は、パリ7区のセーヌ左岸に広がる17世紀の壮大な建築複合体である。傷病兵や老兵の療養・収容を目的にルイ14世が創建した国家施設であり、五つの中庭を整然と連ねる本体と、その背後にそびえる黄金のドーム教会からなる。フランス古典主義建築の到達点のひとつに数えられ、今日では軍事博物館やナポレオン1世の墓所を擁する場として広く知られる。
歴史
ルイ14世は1670年、度重なる戦役で傷ついた兵士たちに「余生を安んじて過ごさせる」ための施設の建設を命じた。設計はリベラル・ブリュアン(Libéral Bruant)が担い、1671年に着工した。グルネルの平原に選ばれた敷地に、わずか五年ほどで主要部が完成し、1674年には最初の入居者を迎えている。当初1,500〜2,000人を想定した収容力は、18世紀初頭には4,000人を超えた。
兵士たちのための礼拝堂の建設は難航する。ブリュアンの案が国王を満足させられず、陸軍大臣ルーヴォワは1676年、その仕事を若きジュール・アルドゥアン=マンサール(Jules Hardouin-Mansart)に委ねた。マンサールは、兵士のための簡素な聖堂サン=ルイ=デ=ザンヴァリッドに、国王のための壮麗な王室礼拝堂を接続する構想をまとめる。後者がいわゆるドーム教会であり、その建設はおよそ30年に及び、1706年8月にようやく国王へ鍵が手渡された。
フランス革命期の1789年7月14日には、群衆がここに保管されていた銃と大砲を奪い、その足でバスティーユを襲撃している。1840年には、セントヘレナで没したナポレオン1世の遺骸が運ばれ、ドームの下に葬られた。
建築的特徴
本体のファサードはセーヌに面しておよそ196mに及び、軍事パレードのための主中庭(クール・ドヌール)を中心に据える。その造形は明快で厳格な古典主義に貫かれ、装飾を抑えた水平の広がりに特徴がある。
これに対し、マンサールのドーム教会は垂直性を競う。ローマのサン・ピエトロ大聖堂を意識した設計で、正方形の平面にギリシア十字を内接させ、各面を二層に重ねた古典オーダーと、三角形のペディメントを戴く玄関で構成する。高い二層の太鼓(ドラム)の上に金箔で覆われたドームがのり、頂部の採光塔まで含めた高さは107mに達する。下方の方形から上方の曲面へ、昇るにつれて形が複雑化していく構成は、フランス・バロックの劇的な空間感覚をよく示している。
意義・現在
アンヴァリッドは、ヴェルサイユ宮殿に次ぐルイ14世治世第二の大工事であり、エッフェル塔が建つまではパリで最も高い建造物であった。黄金のドームは今もパリの遠景を画す目印であり続けている。施設は現在も傷痍軍人のための国立施設としての機能を保ちつつ、軍事博物館(musée de l'Armée)や立体地図博物館などを収め、兵士の聖堂はフランス軍管区の大聖堂となっている。古典の威厳とバロックの高揚を一つの敷地に併せもつ点で、17世紀フランス建築を読み解く格好の場である。