ピスカリョフスコエ記念墓地 Piskaryovskoye Memorial Cemetery
サンクトペテルブルク北東部にある、レニングラード包囲戦の犠牲者を悼む世界最大級の記念墓地。1941–44年の包囲で亡くなった約47万の市民らが葬られ、1956年着工・1960年開業の記念施設には「母なる祖国」像と永遠の火が据えられている。
§1 — 概要概要
ピスカリョフスコエ記念墓地は、ロシア・サンクトペテルブルク北東部に広がる、レニングラード包囲戦(1941–1944年)の犠牲者を追悼する記念墓地である。第二次世界大戦の犠牲者に捧げられた記念墓地としては世界最大級で、186の集団墓地に約47万人の市民と数万の兵士が葬られている。広大な緑地のなかに、追悼の軸線と記念碑からなる建築=彫刻のアンサンブルが構成されている。
歴史
この地はもともとピスカリョフカ村の墓地であったが、包囲下のレニングラードでは飢餓と砲爆撃により膨大な死者が出て、1942年以降ここが主要な埋葬地となった。記念施設の計画は1945年のコンペに始まるが、「レニングラード事件」の影響で1949年から1955年まで中断し、1956年に建築家アレクサンドル・ヴァシリエフとエフゲニー・レヴィンソンの設計で着工された。施設は戦勝15周年にあたる1960年5月9日に開かれ、火種はマルスの野から運ばれて永遠の火が灯された。
建築的特徴
入口の二棟のパヴィリオンから永遠の火へと導かれ、花崗岩の階段を下りると、約480メートルに及ぶ中央の参道が伸びる。その先に立つのが、彫刻家ヴェラ・イサエヴァとロベルト・タウリトによる青銅の「母なる祖国」像である。像の背後の花崗岩の壁には、詩人オリガ・ベルゴリツの「誰も忘れられず、何も忘れられない」の言葉が刻まれる。各墓地の区画は死亡年(1941–1944)のみを記し、中央の記念碑には包囲の日々を伝える高浮彫が連なる。
意義・現在
ピスカリョフスコエ記念墓地は、約900日に及んだ包囲の記憶を都市の景観に刻み込んだ、20世紀ソ連を代表する追悼空間である。入口のパヴィリオンには犠牲者の暮らしを伝える博物館が設けられ、ターニャ・サヴィチェワの日記の複製などが展示される。今日も戦勝記念日には多くの人が訪れ、献花が絶えない。都市規模の惨禍を、声高な勝利の表象ではなく静かな悼みの空間として伝える点に、その建築的意義がある。
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