カフラー王のピラミッド Pyramid of Khafre
エジプト、ギザの三大ピラミッドの中央に立つ、第4王朝のファラオ・カフラー王の墓。原高約143.5メートルでクフ王のピラミッドに次ぐが、一段高い岩盤上に立つため最も高く見える。三基のうち唯一、頂部に化粧石を残す。
§1 — 概要概要
カフラー王のピラミッド(Pyramid of Khafre)は、ギザ台地に並ぶ三大ピラミッドの中央に位置する、古王国第4王朝のファラオ、カフラー王(ギリシア名ケフレン)の墓である。規模はクフ王の大ピラミッドに次ぐが、約10メートル高い岩盤の上に立ち、勾配も急なため、遠目には三基のうちで最も高く見える。頂部付近に創建時の化粧石がまとまって残るのは、三基のうちこのピラミッドだけである。
歴史
カフラー王はクフ王の子で、その治世はおおむね前26世紀半ばに置かれ、ピラミッドもこの時期に築かれた。王墓は古代のうちに盗掘を受けたとみられ、表面を覆っていた化粧石も、長い時間をかけて建材として持ち去られた。近代に入ると、1818年にジョヴァンニ・ベルツォーニが北面の入口を見つけて玄室に達したが、蓋の割れた石棺のほかに副葬品は残っていなかった。1837年にはジョン・ペリングが内部を初めて全面的に調査し、1850年代にはオーギュスト・マリエットが河岸神殿を発掘して、閃緑岩のカフラー王坐像を掘り出している。1960年代には物理学者ルイス・アルヴァレズが宇宙線のミュー粒子を用いた透視を試み、調査した範囲に未知の空間がないことを確かめた。
建築的特徴
底辺は一辺約215メートル、創建時の高さは約143.5メートル(現状は約136メートル)で、斜面の傾きは約53度とクフ王のピラミッドより急である。台地の傾斜に合わせ、北西側では岩盤を削り、南東側では石を積み増して基盤を整えた。化粧石は最下段に赤色花崗岩、それより上にはナイル対岸のトゥーラで採れた良質な石灰岩が用いられた。四辺はほぼ正確に東西南北を向いている。
内部には北面に上下二つの入口があり、いずれも通路を経て、岩盤を掘り込んだ玄室に至る。東西に長い玄室の天井は石灰岩の梁を切妻状に組んで架けられ、床には花崗岩の石棺が半ば埋め込まれている。入口が二つある理由については、建設途中で計画が変更された名残とする説などがあり、定説はない。
ピラミッドは単独の墓ではなく、東側の葬祭神殿、そこから約500メートルの参道で結ばれた河岸神殿、南側の衛星ピラミッドとともに一つのピラミッド複合体を構成する。巨石の壁を赤色花崗岩で覆い、花崗岩の角柱とアラバスターの床を備えた河岸神殿はとりわけ保存がよく、そのかたわらには大スフィンクスが横たわる。葬祭神殿は、入口の間、列柱の中庭、王像を納める壁龕、倉庫、聖所という、以後の葬祭神殿の標準的な構成を最初にそろえた例とされる。
意義・現在
カフラー王のピラミッドは、父王の大ピラミッドで達成された規模と精度を受け継ぎつつ、神殿・参道・スフィンクスからなる葬祭空間の全体を、ギザの三基のなかでも比較的よく伝える遺構である。とりわけ河岸神殿の花崗岩の架構は、古王国の石造技術を直接に示す。1979年、「メンフィスとその墓地遺跡―ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯」の一部としてユネスコ世界遺産に登録された。