EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
スレイマニエ・モスク
© Hunanuk / CC0
FIG. 01 — Q178643
様式 · オスマン建築 時代 · ルネサンス 類型 · 宗教建築 ★ イスタンブール歴史地域(ユネスコ世界遺産、1985年登録)

スレイマニエ・モスク Süleymaniye Mosque

Süleymaniye Camii

イスタンブール旧市街の丘に建つオスマン帝国の大モスク。スレイマン1世の命により、宮廷建築家ミマール・スィナンが1550年から1557年にかけて建てた。ハギア・ソフィアを範とした大ドームと四基のミナレットをもち、オスマン古典建築の頂点のひとつに数えられる。

FIG. 02 — Location41.0161° N 28.9639° E
トルコ イスタンブール県 イスタンブール
§1 — 概要

概要

スレイマニエ・モスク(Süleymaniye Camii)は、イスタンブール旧市街の第三の丘に建つオスマン帝国の帝室モスクである。スルタン・スレイマン1世(壮麗者)の命を受け、宮廷の主任建築家ミマール・スィナンが設計した。定礎は1550年、落成は1557年とされる。ビザンツ帝国の大聖堂ハギア・ソフィアを意識した大ドームと、隅に立つ四基のミナレットが金角湾を見下ろす景観をなし、オスマン古典建築の頂点のひとつ、そしてスィナンの代表作に数えられる。モスクは単体ではなく、学校や施療院を伴うキュッリイェ(複合施設)の中心として築かれた。

歴史

建設地には、かつてオスマン朝最初の宮殿(旧宮殿)が建っていたが、この計画のために取り壊された。スレイマン1世は、コンスタンティノープル征服以来オスマン文化の理想とされてきたハギア・ソフィアに比肩する、あるいはそれを凌ぐモスクを望んだという。定礎を1550年、落成を1557年と刻む銘文が入口に残るものの、マドラサや墓廟など複合体の一部は1559年頃まで工事が続いた。スレイマンとその妃ヒュッレム・スルタンの墓廟は本体南側の墓地に置かれ、設計者スィナン自身の質素な墓も複合体の一隅に営まれている。1660年の大火で被災してメフメト4世が修復し、1766年の地震ではドームの一部が崩落した。

建築的特徴

礼拝室はほぼ正方形(約58.5メートル×57.5メートル)の広大な一室をなし、中央の大ドームがこれを覆う。ドームは高さ約53メートル、直径約26.5メートルで、直径が高さのちょうど半分にあたる。前後を半ドームが支え、側面には小ドームが連なって、中心へと積み上がる量塊を形づくる。スィナンは大きな支柱を外壁のなかに巧みに隠すことで内部を開放的に保ち、多数の窓から光を導いた。四基のミナレットのうち、礼拝室側の二基は高く(約76メートル・三段のバルコニー)、中庭側の二基は低い(約56メートル・二段)。バルコニーは計十段あり、スレイマンが第十代スルタンであることを表すという。

意義・現在

スレイマニエ・モスクは、規模と均整においてオスマン帝室建築の到達点のひとつを示す。モスク本体にとどまらず、四つの法学派に対応するマドラサ、医学校、施療院、給食施設、隊商宿、浴場などを備えたキュッリイェは、宗教・教育・福祉を一体に営む「都市の中の都市」として機能した。建築家スィナンの経歴のうえでは、本作は親方として大成する前の中堅期の作と位置づけられ、最高傑作はむしろ後年のセリミエ・モスクに求められる。それでもなお、丘の上から金角湾を見晴るかすその姿はハギア・ソフィアと並んで旧市街の輪郭を形づくり、1985年には「イスタンブール歴史地域」の構成資産としてユネスコ世界遺産に登録された。

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LAST EDIT — 2026.06.22
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