EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
スタリ・モスト
© Duesseljan / CC0
FIG. 01 — Q188528
様式 · オスマン建築 時代 · ルネサンス 類型 · インフラ ★ ユネスコ世界遺産「モスタル旧市街の古い橋の地区」(2005年登録)

スタリ・モスト Stari Most

Stari Most

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルでネレトヴァ川に架かる単アーチの石橋。1557年に着工し、ミマール・スィナンの弟子ハイルッディンが1566年に完成させた。1993年に砲撃で破壊され、2004年に旧来の技法と材料で再建された。

FIG. 02 — Location43.3373° N 17.8150° E
ボスニア・ヘルツェゴビナ ヘルツェゴビナ=ネレトヴァ県 モスタル
§1 — 概要

概要

スタリ・モストは、ボスニア・ヘルツェゴビナ南部の都市モスタルで、ネレトヴァ川の峡谷に架かる石造の単アーチ橋である。名は現地語で「古い橋」を意味する。市名のモスタルは、橋を守った番人「モスタリ」に由来するとされる。オスマン建築がバルカン半島で達成した水準を示す代表作であり、1993年の破壊と2004年の再建という20世紀末の経験によって、いまや技術史とは別の重みも背負っている。

歴史

16世紀、オスマン支配の進展とともにモスタルの経済的・行政的な比重が高まると、それまでの吊り橋では用を足さなくなった。オスマンの地理学者キャーティプ・チェレビーは、旧橋が木と鎖でできており、渡る者が死ぬ思いをするほど揺れたと記している。

架け替えを命じたのはスレイマン1世で、1557年に工事が始まった。設計者はミマール・スィナンの弟子と伝えられるミマール・ハイルッディンである。工事はスルタンの女婿カラギョズ・メフメト・ベイが監督し、9年を要した。銘文に記されたヒジュラ暦974年は西暦1566年から1567年にかけての期間にあたる。完成時、このアーチ橋の径間は当時知られたどの石造アーチよりも大きかったとされる。前例のない規模を命じられた設計者が、支保工を外す日に自らの葬儀の支度をしていたという逸話が伝わるが、確かな記録はほとんど残っていない。17世紀の旅行家エヴリヤ・チェレビーは、岩から岩へ空に投げ渡された虹のようだと書き残している。

1993年11月9日、クロアチア・ボシュニャク間の戦闘のさなか、クロアチア防衛評議会の砲撃によって橋は崩落した。旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所は2017年、橋が軍事目標たりえたと判断しているが、共同体を結ぶ象徴の意図的な破壊であったとする評価も根強い。

再建は国際的な事業となった。世界銀行、ユネスコ、アガ・カーン文化財団、ワールド・モニュメント財団が協働し、1998年に専門家委員会が組織される。工事は2001年6月に始まり、2004年7月23日に開通した。

建築的特徴

橋は基礎をもたない。両岸の崖に石灰岩の橋台を据え、水際の翼壁とつないで荷重を受ける。夏の水位から測って橋台の高さは約6.5メートル、そこからアーチが立ち上がり、頂点までの矢高は約12メートル。全長は約30メートル、幅は約4メートルで、水面からの高さは約24メートルに達する。

背が高く反り上がった輪郭は、単一のアーチで峡谷を跨ぐという条件から導かれたものである。石材は地元産のテネリヤと呼ばれる緻密な石灰岩で、迫石を積み上げ、頂点に要石を据えて閉じる。石どうしは鉄のかすがいを溶かした鉛で固定する。卵白を混ぜたモルタルを用いたという伝承もあるが、建設の詳細を伝える文書はほとんど残っていない。北東のハレビヤ塔と南西のタラ塔が両端を固め、橋は防御施設の一部としても機能した。

再建にあたっては、可能なかぎり原型と同じ技術・材料を用いる方針がとられた。ハンガリー軍の潜水士が川底から旧橋の石を引き揚げたが、再用に耐えるものは少なく、大半は近隣の採石場から新たに切り出された。

意義・現在

2005年、周辺の旧市街とともにユネスコ世界遺産に登録された。登録の理由には、破壊された遺産の修復が示す和解の意味も含まれている。

橋の上から川へ飛び込む習慣は古くから続き、1968年には正式な飛び込み競技が始まった。冷たいネレトヴァへ約24メートルを落下する行為には相応の技量が要り、現在も夏の恒例行事として続けられている。再建された橋は、失われたものの複製であると同時に、それを復元しようとした意思の記録でもある。石造技術の資料としての価値と、記憶の場としての価値が、同じ一つのアーチの上に重なっている。

関連する建築

Related
同じ様式
オスマン建築 トプカプ宮殿
1459 · イスタンブール
トプカプ宮殿
Mehmed II

イスタンブール、金角湾を望むサラユブルヌの丘に建つオスマン帝国の宮殿。1453年…

データ: Wikidata (Q188528) / 解説: Wikipedia 日本語版 · English / 画像: © Duesseljan / CC0 — Wikimedia Commons
LAST EDIT — 2026.08.28
ENTRY ID — BLD-1155