セーチェーニ鎖橋 Széchenyi Chain Bridge
ブダペストでドナウ川に架かる吊橋。1849年に開通したハンガリー初の恒久橋で、英国の技師ウィリアム・ティアニー・クラークが設計し、アダム・クラークが施工を指揮した。鋳鉄の装飾と石の獅子像で知られる。
§1 — 概要概要
セーチェーニ鎖橋(Széchenyi lánchíd)は、ブダペストでドナウ川を渡り、ブダとペシュトの両岸を結ぶ吊橋である。ハンガリーの首都で初めて架けられた恒久的な橋であり、その建設を唱えた政治家セーチェニ・イシュトヴァーンの名を冠する。それ以前、両岸の往来は渡し船や冬季の仮設橋に頼っていた。
歴史
1839年、イングランドの土木技師ウィリアム・ティアニー・クラークが設計し、スコットランド出身の技師アダム・クラーク(縁戚関係はない)が現地で施工を指揮した。橋は分割して英国で製作され、ドナウへ運ばれて組み立てられた。建設費の多くはギリシア人商人シナ・ジェルジ(ゲオルギオス・シナス)が拠出した。1848年の革命を経て1849年に開通し、中央径間202メートルは当時世界有数の長さであった。両端の石造の獅子像は彫刻家マルシャルコー・ヤーノシュの作で、1852年に据えられた。
建築的特徴
鎖状の部材を吊って桁を支える形式で、ティアニー・クラークがテムズ川に架けたマーロウ橋を拡大した設計である。装飾は鋳鉄でつくられ、両岸の橋塔は凱旋門を思わせる古典的な姿をとる。吊り材は錬鉄の鎖からなり、当初の部材は20世紀初頭に補強・更新された。土木の技術と記念碑的な意匠を兼ねた、19世紀の橋梁の代表例である。
意義・現在
第二次世界大戦末期の1945年、撤退するドイツ軍によって爆破され、橋塔を残して失われた。戦後に再建され、1949年に再び開通した。再開通は、奇しくも最初の開通からちょうど100年後にあたる。両岸を初めて常設で結んだこの橋は、のちのブダとペシュトの統合を準備し、通行料は貴族にも等しく課されて、身分を問わぬ負担の象徴ともなった。施工を率いたアダム・クラークは、橋に続けてブダ城の丘を貫くトンネルも手がけた。ブダペストの象徴として親しまれ、ハンガリー改革期の記念碑であり続けている。