ヴァザーリの回廊 Vasari Corridor
フィレンツェのヴェッキオ宮とピッティ宮を結ぶ、全長約750メートルの高架の通廊。1565年、コジモ1世の命でヴァザーリが、息子フランチェスコ1世の婚礼に合わせ、わずか数か月で築いた。ウフィツィとポンテ・ヴェッキオの上を通り、メディチ家が街路に降りずに往来できる私的な道であった。
§1 — 概要概要
フィレンツェの中心部、ヴェッキオ宮殿(市政の中枢)とピッティ宮殿(メディチ家の住まい)を結ぶ、全長約750メートルの高架の通廊である。ウフィツィを抜け、アルノ川沿いを進み、ポンテ・ヴェッキオ(古い橋)の上を渡って対岸へと至る、街路の上を行く屋根付きの私的な道であった。設計者ジョルジョ・ヴァザーリの名で呼ばれている。
歴史
16世紀、フィレンツェは共和国から、メディチ家を君主とする体制へと移っていた。市民の不満がくすぶるなか、トスカーナ大公コジモ1世は、住まいと政庁とのあいだを安全に行き来できる道を望んだ。1565年、その造営がヴァザーリに命じられる。息子フランチェスコ1世とオーストリアのジョヴァンナの婚礼に間に合わせるべく、工事はわずか数か月で成し遂げられた。
ローマにある、ヴァティカンとサンタンジェロ城を結ぶ「パッセット」が、その先例となった。通廊が橋を通るにあたり、ポンテ・ヴェッキオに並んでいた肉屋は、臭いを嫌って立ち退かされ、代わって金細工師が店を構えた——橋を彩る金銀細工の店は、今日まで続いている。
建築的特徴
通廊は、ヴェッキオ宮からウフィツィを経て、アーチに支えられながらアルノ川岸を進み、橋の上を渡る。途中、立ち退きを拒んだマンネッリ家の塔を、石の持ち送りでぐるりと迂回している点が知られる。サンタ・フェリチタ教会の上を通る箇所には、大公一家が市民に交じらず礼拝に与れるよう、堂内を見おろすバルコニーが設けられた。連なる小窓からは、市街やアルノ川の眺めが切り取られる。
意義・現在
ヴァザーリの回廊は、君主が街路に降りることなく街を見おろし、行き来するという、メディチ家の権勢のありようをそのまま空間にした建築である。17世紀には枢機卿レオポルド・デ・メディチによって、芸術家の自画像を集めた回廊へと姿を変え、ヨーロッパ屈指の自画像コレクションの場として知られた。長い修復を経て2024年に再び公開され、メディチ家がたどった「秘密の道」を、今は誰もが歩けるようになっている。
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