ウィーン国立歌劇場 Vienna State Opera house
オーストリアのウィーン、リング通りに最初に建てられた記念碑的建築。アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルの設計により1861年から1869年にかけて建設された、ネオルネサンス様式の歌劇場で、世界有数のオペラの殿堂として知られる。
§1 — 概要概要
ウィーン国立歌劇場(Wiener Staatsoper)は、オーストリアの首都ウィーンの環状大通り「リング通り」に最初に建てられた記念碑的建築である。フランツ・ヨーゼフ1世によるウィーン都市大改造の一環として、アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルの設計により1861年から1869年にかけて建設された。ネオルネサンス様式をまとうこの劇場は、世界有数のオペラの殿堂として今日に至っている。
歴史
1857年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は旧市街を囲む城壁の撤去と、跡地への大通り・公共建築群の建設を命じた。その嚆矢として計画されたのが、新しい宮廷歌劇場である。設計競技を勝ち抜いたのは、生涯の盟友であった二人のウィーンの建築家、ジッカルツブルクとファン・デア・ニルだった。1861年に着工し、皇帝が私費を投じて建設を支えた。しかし完成前から、建物は酷評にさらされる。前面の道路面が予定より一メートル高くなったために建物が沈んで見え、「沈んだ箱」と揶揄されたのである。批判に苦しんだファン・デア・ニルは1868年4月に自ら命を絶ち、ジッカルツブルクもその十週後に世を去った。二人とも、1869年5月25日にモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』で行われたこけら落しを見ることはなかった。
建築的特徴
歌劇場は、19世紀の歴史主義を象徴するネオルネサンス様式で建てられている。正面にはアーチを連ねたロッジアが設けられ、リング通りに開かれた一階を構成する。ジッカルツブルクが主に技術と構造を、ファン・デア・ニルが装飾と美的処理を受け持つという、二人の長年の分業がこの建築に結実した。内部は大理石の階段、金彩のフレスコ、モーツァルトの諸作に取材した「シュヴィント・フォワイエ」などで彩られ、帝都の威信にふさわしい華やかさを備える。第二次世界大戦末期の空襲で観客席と舞台は焼失したが、戦後に再建された。
意義・現在
ウィーン国立歌劇場は、単なる劇場にとどまらず、リング通りに沿って並ぶ歴史主義建築群の出発点として、近代ウィーンの都市像を方向づけた建築である。専属のウィーン国立歌劇場管弦楽団はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体でもあり、建築と音楽の双方で都市の文化的威信を体現してきた。今日その姿は世界遺産「ウィーン歴史地区」を構成する建築のひとつに数えられ、年間を通じて世界の聴衆を迎えている。