ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに建つ市庁舎。オーストリア=ハンガリー統治下の1896年に、擬ムーア様式で完成した。のちに国立図書館として用いられたが、1992年のサラエボ包囲で炎上し、約200万点の蔵書を失った。2014年に再建され、街の象徴として甦った。
§1 — 概要概要
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ、旧市街を流れるミリャツカ川のほとりに建つ市庁舎である。オーストリア=ハンガリー帝国の統治下、19世紀末に擬ムーア様式で建てられた。サラエボを代表する建築として知られ、その数奇な歴史とともに、街の象徴とされている。
歴史
帝国は、サラエボに威信を示しつつ、この地のイスラム文化をも汲んだ庁舎を求めた。1891年、チェコ出身の建築家カレル・パルジークが最初の設計を担ったが、財務大臣の意向により交代となった。設計はアレクサンダー・ヴィッテクが引き継ぎ、カイロのイスラム建築に着想を得て擬ムーア様式の姿をまとめた。ヴィッテクの死後はチリル・イヴェコヴィッチが工事を継ぎ、1896年に完成した。
第二次世界大戦後、建物はボスニア・ヘルツェゴビナの国立・大学図書館として用いられた。しかし1992年、サラエボ包囲のさなか、市街を囲む勢力の砲撃を受けて炎上する。図書館が所蔵していた約200万点の書物や資料の多くが、この火災で失われた。戦後、写真や図面をもとに再建が進められ、2014年に建物は甦った。
建築的特徴
赤と黄の縞模様の外壁、馬蹄形のアーチ、幾何学的な装飾など、スペインや北アフリカのイスラム建築に学んだ意匠でおおわれている。これらはヨーロッパの折衷主義と組み合わされ、東西の様式が溶け合った独特の姿を生んだ。内部には、色ガラスの天窓をいただく吹き抜けの広間が設けられている。
意義・現在
サラエボ市庁舎は、東西の文化が交わるこの街の歴史を、そのまま体現する建築である。帝国の庁舎として生まれ、知の宝庫となり、戦火に焼かれ、そして甦った。再建された現在は、ふたたび市の庁舎として、また文化の場として用いられ、サラエボの不屈の象徴となっている。
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