ペトリーヌ・バロック
Petrine Baroque年代
1700 — 1740
地域
ロシア(サンクトペテルブルク)
時代
バロック・ロココ
概要
ペトリーヌ・バロック(Petrine Baroque、ロシア語: петровское барокко)は、ロシア皇帝ピョートル大帝とその直後の治世に好まれ、新首都サンクトペテルブルクの建設に用いられた17〜18世紀のバロック様式である。皇帝の名(ピョートル)にちなむ。
時代・地域
18世紀初頭、ピョートル大帝が「ヨーロッパへの窓」として築いたサンクトペテルブルクを中心に展開した。それまでロシアの建築を千年にわたり規定してきたビザンティン的な伝統からの劇的な転換であり、同時期にモスクワで好まれた華やかなナルイシキン・バロックとも性格を異にする。
形態的特徴
イタリアの盛期バロックの過剰な装飾よりも、オランダ・デンマーク・スウェーデンといった北方の比較的簡素な建築に範をとった、抑制のきいた端正な造形を特徴とする。左右対称の明快な構成、軸線の強調、赤や黄に塗られた壁面と白い付柱・装飾の対比、規則的に並ぶ窓などが、その典型的な要素である。
代表建築
主たる担い手は、ドメニコ・トレツィーニ、アンドレアス・シュリューター、そしてミハイル・ゼムツォフらであった。サンクトペテルブルクのペトロパヴロフスク聖堂や十二参議会などが知られ、バルト海をのぞむタリンでは、本データベースのカドリオルグ宮殿がこの様式の北の到達点を示す。
前後様式との関係
ペトリーヌ・バロックは西欧バロックのロシアにおける受容であり、ピョートルの没後は、娘エリザヴェータの治世にラストレッリらが手がける、より絢爛なエリザベス様式(ロシア・バロック)へと展開していった。
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代表建築
Buildings§2