ペトロパヴロフスク要塞 Peter and Paul Fortress
サンクトペテルブルク発祥の地。1703年にピョートル1世がネヴァ川のウサギ島に築いた稜堡式の城塞で、トレジーニ設計の大聖堂はロマノフ朝の霊廟となった。
§1 — 概要概要
ペトロパヴロフスク要塞(Петропавловская крепость)は、ロシア・サンクトペテルブルクのネヴァ川河口、ウサギ島(ザーヤチー島)に位置する稜堡式の城塞である。1703年の創建は、そのまま都市サンクトペテルブルクの誕生を意味し、市の発祥の地とされる。六つの稜堡をもつ星形の縄張りの中心に、ロシア皇帝たちの霊廟である大聖堂がそびえる。
歴史
大北方戦争のさなか、ネヴァ河口の要衝を確保したピョートル1世は、スウェーデン軍に備えて1703年5月、ウサギ島に土塁と木材による要塞を急造した。翌年までに六稜堡の輪郭が整い、各稜堡には皇帝の側近や皇帝自身の名が与えられた。1706年からは、招かれたスイス出身の建築家ドメニコ・トレジーニの監督のもとで石造への建て替えが進み、おおむね1740年までに堅固な姿となった。要塞は結局実戦を経験せず、18世紀以降はむしろ政治犯を収容する監獄として知られるようになる。最初の囚人は皇帝の息子アレクセイであった。
建築的特徴
縄張りは、六つの稜堡を直線の城壁でつなぐ近世ヨーロッパの稜堡式要塞の典型で、隣り合う稜堡が互いの足元を射撃で守り合う。中心に立つペトロパヴロフスク大聖堂(1712〜1733年)もトレジーニの設計で、玉ねぎ型ドームを連ねる在来のロシア教会とは一線を画す。細く高い鐘塔の頂には金色の尖塔が伸び、天使像を戴く高さ122.5メートルの針は、長くこの都市で最も高い構築物であった。要塞全体は、ロシアに西欧の古典を移植したペトリーヌ・バロックの出発点をなす。
意義・現在
要塞はサンクトペテルブルクという都市そのものの起点であり、その後の街区計画や記念建築の規範となった。大聖堂はピョートル1世以来、ほぼ歴代のロマノフ家君主が葬られた皇室の霊廟であり、1998年には最後の皇帝ニコライ2世とその家族の遺骨もここに改葬された。今日では市歴史博物館の中核施設として一般に公開され、ナルイシュキン稜堡からの正午の空砲は、創建以来の伝統として続いている。世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の構成資産でもある。