カドリオルグ宮殿 Kadriorg Palace
エストニアの首都タリンに建つペトリーヌ・バロックの宮殿。北方戦争に勝ったロシアのピョートル大帝が、妃エカテリーナ1世のため1718年に着工させた夏の離宮で、イタリア人建築家ニッコロ・ミケッティの設計になる。今日はカドリオルグ美術館として外国美術を展示する。
§1 — 概要概要
エストニアの首都タリンの東、カドリオルグ公園のなかに建つ18世紀の宮殿である。ロシア皇帝ピョートル大帝が妃エカテリーナ1世のために築かせた夏の離宮で、その名はエストニア語で「エカテリーナの谷」を意味する(ドイツ語名カタリーネンタール)。イタリア人建築家ニッコロ・ミケッティの設計になり、北ヨーロッパにおけるバロック建築の傑作の一つに数えられる。現在は外国美術を収めるカドリオルグ美術館として公開されている。
歴史
大北方戦争でスウェーデンからこの地を奪ったピョートル大帝は、1718年7月、タリン近郊に壮麗な夏の宮殿の建設を始めさせた。設計を委ねられたのは、ローマでカルロ・フォンターナに学び、ピョートルに招かれてロシアの宮廷建築家となっていたミケッティである。彼がイタリアへ戻ったのちは、ロシア人建築家ミハイル・ゼムツォフが建設を引き継ぎ、ローマ出身のガエターノ・キアヴェーリも工事を監督した。
しかし1725年にピョートルが世を去ると、バルト海沿岸への皇室の関心は薄れ、ミケッティとピョートルが描いた壮大な構想は完全には実現しなかった。それでも宮殿はロシア皇帝の夏の離宮として用いられ続け、1827年にはニコライ1世の命で大規模な修復が行われた。1918年のエストニア独立後は国有となり、1920年代から美術館や国家元首の公邸として使われた。2000年、外国美術を展示するカドリオルグ美術館として開館した。
建築的特徴
宮殿は、中央棟の左右に翼を従えた左右対称の構成をとり、サンクトペテルブルクで花開いたペトリーヌ・バロックの、北方らしい端正な意匠をまとう。赤みを帯びた壁面と白い装飾の対比、軸線を強調した配置、そしてヴェルサイユに範をとった幾何学的な庭園が、王権の威光を演出する。
白眉は二層吹き抜けの大広間である。豊かなスタッコ(漆喰)装飾に覆われ、天井にはオウィディウス『変身物語』の一場面――水浴するディアナと、それを目にしたアクタイオン――を描いた天井画が広がる。暖炉の上にはピョートルとエカテリーナの組み合わせ文字が向かい合い、エストニアのみならず北ヨーロッパを代表するバロック内部空間の一つとされる。
意義・現在
カドリオルグ宮殿は、地中海生まれの華麗なバロックを、ピョートル大帝の意志によってバルト海の厳しい風土へ移し植えた建築である。「ヨーロッパへの窓」を志した皇帝が、新たに獲得した属州に据えた権威の象徴でもあった。設計者ミケッティのロシア時代の作品の多くが失われ、あるいは改変されたなかで、本宮殿は彼自身の設計がほぼそのまま残る唯一の例として貴重である。建物はエストニアの国家文化財に登録され、周囲のカドリオルグ公園とともに、首都タリンを代表する文化の場であり続けている。
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