サンクトペテルブルク、ネフスキー大通りとフォンタンカ川の交わる地に立つ旧帝室宮殿。女帝エリザヴェータのために1741年に着工し、ゼムツォフとラストレッリがバロックで建て、後に新古典主義へ改修された。
§1 — 概要概要
アニチコフ宮殿(Аничков дворец)は、サンクトペテルブルクの目抜き通りネフスキー大通りとフォンタンカ川が交わる地に立つ、旧帝室の宮殿である。近くのアニチコフ橋にちなんで名づけられた。女帝エリザヴェータのために18世紀半ばにバロック様式で建てられ、のちに新古典主義へと改められた、ネフスキー大通りで最も古い石造建築の一つである。
歴史
1741年、女帝エリザヴェータ・ペトロヴナの命により着工した。設計は建築家ミハイル・ゼムツォフが手がけ、その死後はバルトロメオ・ラストレッリがバロックの装飾を加えて完成させた。当時フォンタンカ川は市の外れにあたり、宮殿の正面は川に面して建てられた。13年を経た1754年に竣工し、女帝は寵臣ラズモフスキー伯に贈った。エカテリーナ2世の時代には寵臣ポチョムキンに与えられ、1776年から79年にかけて建築家イヴァン・スタロフがバロックの装飾を整理し、新古典主義の厳格な外観に改めた。これが今日見る姿である。
建築的特徴
当初はラストレッリ特有の豊かな漆喰装飾をまとうエリザヴェータ朝バロックの宮殿であったが、スタロフの改修によって各翼の階高がそろえられ、装飾は簡素化されて、整然とした新古典主義のファサードへと姿を変えた。その結果、堂々としつつもやや単調と評される独特の外観が生まれた。のちにジャコモ・クアレンギが前面のフォンタンカ河岸に別棟を建て、カルロ・ロッシが1817年から18年に庭園にイオニア式の二つのパヴィリオンを設けるなど、複数の建築家の手が重ねられて一つの建築群を成している。
意義・現在
バロックから新古典主義へという18世紀ロシア建築の転換を、一つの建物の上に映し出す宮殿として知られる。帝室の宮殿として、ニコライ1世やアレクサンドル2世・3世らが即位前に住まいとした。革命後は市の博物館を経てレニングラード少年宮殿となり、現在は青少年創造宮殿(およびアニチコフ・リツェイ)として、課外教育の場に用いられている。