トルコ建国の父アタテュルクが眠る、首都アンカラの国家廟。エミン・オナトとオルハン・アルダの設計により1944年から1953年にかけて築かれ、列柱に囲まれた基壇の上に近代と古代アナトリアの記念碑性を統合した。
§1 — 概要概要
アタテュルク廟(アニトカビル、Anıtkabir)は、トルコ共和国の建国者ムスタファ・ケマル・アタテュルクの墓所として、首都アンカラの丘に築かれた国家的記念建造物である。トルコ語の名は「記念の墓」を意味する。墓室を中心に、儀礼の広場、長い参道、塔、そして独立戦争と建国を伝える博物館や平和公園を含む広大な複合体を成す。建築家エミン・オナトとオルハン・アルダの設計になり、角柱のコロネードに囲まれた基壇の上に、簡潔で重厚な造形を凝縮している。
歴史
1938年にアタテュルクが没すると、その遺体はアンカラ民族学博物館に仮安置され、恒久的な廟の建設が国家事業として計画された。建設地にはアンカラ市街を見下ろすラサットテペ(現アニトテペ)の丘が選ばれ、1941年に国際設計競技が告示された。翌1942年、オナトとアルダの案が修正を前提に選定され、1944年10月の起工をもって工事が始まった。建設は四期に分けて進められ、いくつかの困難と遅延を経て1953年に完成、同年11月にアタテュルクの遺体が廟へ移された。
建築的特徴
廟の中核をなすのは、長方形の墓室を載せた高い基壇と、それを取り囲む角柱のコロネードである。切り石による重厚な壁面、左右対称の構成、抑制された装飾は、1940年代のトルコに興った第二次国民建築運動の典型を示す。アナトリアの古代建築を抽象化して参照しつつ、鉄筋コンクリートの構造を地元産の石灰岩で覆い、永続性と威厳を与えている。墓室へ至る長い参道「ライオンの道」には対のライオン像が並び、儀礼の場としての軸線を強く打ち出す。来訪者が立つ墓室の床下に、アタテュルクの実際の棺が安置されている。
意義・現在
アタテュルク廟は、共和国トルコの記念碑建築の到達点であり、国家の象徴として国民の参拝を集め続けている。儀仗兵による衛兵交代が行われ、国賓の公式訪問や国家行事の舞台ともなる。複合体内のアタテュルクと独立戦争の博物館は、建国の歴史を伝える施設として公開されている。近代の技術と古代以来の記念性を結びつけたその構想は、20世紀の国家廟建築のなかでも独特の位置を占める。