テヘラン西郊に立つ記念碑。1971年、ペルシア帝国建国2500年を記念して建てられ、ホセイン・アマナトの設計でササン朝の半円アーチとイスラームの尖頭アーチを融合させた。
§1 — 概要概要
アーザーディー・タワー(برج آزادی)は、テヘラン西郊のアーザーディー広場に立つ高さ約45メートルの記念碑である。全面を白大理石で覆われ、長らく市街西側の玄関口を示してきた。地下の博物館や噴水を備えた文化複合施設の中核をなし、テヘランを象徴するランドマークの一つに数えられる。広場そのものは大規模な集会を収容しうる広大な空間で、長くメヘラーバード空港から市街へ入る者が最初に目にする建造物であった。
歴史
1966年の設計競技で、当時20代の建築家ホセイン・アマナトが選ばれた。1969年に着工、1971年に竣工し、同年10月に落成した。モハンマド・レザー・パフラヴィー国王の発意により、ペルシア帝国建国2500年を記念して建てられたもので、当初はシャハヤード(「王の記念碑」)と名づけられた。1979年のイラン革命を経て、「自由」を意味するアーザーディーへと改称されている。建国2500年の祝典自体は古都ペルセポリスで催されたが、首都テヘランにはこの記念碑が据えられた。
建築的特徴
中央の大アーチはササン朝に由来する古典期の半円アーチ、その上に架かる尖頭アーチはイスラーム期の形式であり、両者をリブの網目がつなぐ。古代から中世へと至るイラン建築の連続を一基に凝縮した構成で、内部はイーワーンに通じる吹き抜けをもつ。全体は切り出した白大理石で覆われ、幾何学的な稜線が陽光を受けて陰影をつくる。アマナトは、基壇から天へ向かって伸び上がるこの形に、近代化するイランの上昇の意志を託したと語っている。構造の設計にあたっては、シドニー・オペラハウスを手がけた英国のアラップ社の協力を仰いだ。
意義・現在
パフラヴィー朝の近代化が生んだ国家的モニュメントでありながら、伝統的な形態を抽象化した点で20世紀イラン建築を代表する。革命以後はたびたび大規模な集会の舞台ともなり、名称の変遷とともにイラン現代史を映す象徴となっている。
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